2020年12月30日水曜日

新型コロナのワクチンを考える(1)画期的な新ワクチン

日本でも、いよいよ来春にはコロナウイルスSARS-Cov-2に対するワクチンの接種ができるようになりそうです。

新しいワクチンを作るには数年かかると言われていたのに、このように早くできたのは最近の科学の進歩によります。現在、世界中で50種類以上ものワクチンが開発中です。

これまでのワクチンはウイルスのタンパク質を弱毒化したものでしたが、今話題になっているコロナのワクチンは全く新しい原理に基づくものです。イギリスやアメリカで接種が始っているのは、messenger RNA(mRNA)のワクチンです。これは人類が初めて使用するワクチンです。

コロナウイルスが人間の細胞に侵入するには、ウイルス粒子の表面にあるスパイクというタンパク質が必要です。スパイクに抗体を結合させて塞いでしまえば侵入が防げます。

私たちの体を形作る細胞には遺伝子であるDNAが存在します。総合図書館であるDNAから必要な情報がmRNAにコピーされて、それを元にしてタンパク質が合成されます。


ワクチンのmRNAはウイルスのスパイクタンパク質の一部を合成するための情報があります。つまり、人為的にウイルスのタンパク質を体内で合成させて、それに結合する抗体を作らせるというアイデアです。


mRNAワクチンのひとつの問題は、マイナス温度での保存が必要なことです。mRNAは分解されやすい物質です。至る所にmRNAを分解する酵素があるので、mRNAだけを注射したらすぐに分解されてしまいます。そこで、ワクチンでは脂質のナノカプセルに安定化修飾をしたmRNAが封じ込められています。

 

この技術の開発にはドイツのBioNTech社が重要な役割を果たしているが、この会社の創始者はドイツのトルコ移民の夫妻です。

 
さて、ワクチンの注射は筋肉注射で行われます。すると筋肉細胞がスパイクタンパク質を合成するのかとわたしは思っていたのですが、近く発表される論文では、mRNAはリンパ節に取り込まれてB細胞、T細胞という抗体を作り出すための免疫細胞を活性化させることがわかりました。このように作用のメカニズムを知ると接種しても良いと思い始めました。各国のデータを見ても問題ないようです。

スパイクタンパク質を培養細胞を用いて合成させてワクチンにする方法も現在進行中ですが、市場に出てくるのはまだです。

2020年12月29日火曜日

新型コロナ:SARS-CoV-2 の変異ウイルスVOC-202012/01

遺伝子配列を決定する技術はこの10年ほどで解析に要するスピードが増して安価でできるように進化してきました。その機器であるシークエンサーは、多くの大学、研究所に配置されています。英国では、全国的なコンソーシアムCOVID-19 Genomics Consortium(COG-UK)を早期に組織され、各地の感染者のウイルスを解析し膨大なデータを得てきました。サンプリングしてから24時間で配列決定ができるそうです。配列データを解析して、どの系列のウイルスがどのように広がっているのをモニターしています。

 

ケンブリッジ大学では、教職員と学生、院生の全員のPCR検査を10人分をプールして毎週行って(陽性だった場合は10人を個別で)、一部は配列も決めているそうです。

 

今回の変異体には、23個の突然変異が存在し、そのうち4個は欠失で、6個がタンパク質のアミノ酸を変換する変異でした。ウイルスがヒトの細胞に侵入するために使われるスパイクというタンパク質にもアミノ酸を置換がありました。これだけの機能に影響を与える可能性がある複数の変異があるのは、何らかの選択圧があった結果だとも考えらます。英国や南アフリカが特殊なのでなく、同様な、あるいは別の変異が他の国でも生じている可能性はあります。

 

英国で見つかった変異体が英国国内でどれほど広がっているかを下左の地図で示しています。右側は、これまで世界中で見つかった変異体の系統図で1本の線がひとつのタイプです。これまで全世界で数千種類の変異体が同定されています。黄緑は英国の変異体がどの系列から生じたかを示しています。下部の棒グラフは変異体が11月に生じて徐々に増えていく過程を示しています。

 

VOC-202012/01が、すでに日本に侵入しているなら1月末から徐々にメジャーになってゆくはずです。ただ、日本の遺伝子配列決定数は少なく、発表も遅いので追跡も後手になる怖れがあります。英国の変異型かどうかは、全配列を決めなくてもPCRだけで推定できますが。

 

COG-UKのデータ

2020年12月17日木曜日

世界人権宣言

 高田博厚 著「分水嶺」を読んでいたら、彼が1931年に欧州へ船で旅する時に立ち寄った上海で、日本人は危ないから行ってはいけないと言われている中国人街へ行ったときの描写が数行あった。そこに、あまりにもあっさりと書いてある文章を読んで驚いた。

「街には子供市が出ており、3, 4歳ぐらいまでの男の子女の子が藁かごに入れられて、列んでいた。2, 30円で一人買える」

この書物は高田博厚が1970年頃に昔を回想して書いたものである。岩波の編集部の付記に「本書の本文中に、差別にかかわる表現があるが、本書が書かれた時代性や原著者が故人であることを考慮して、原文どおりとした。」とある。

差別にかかわる表現」は、この文章のことではないと思われるが、この文章は差別そのものの描写である。1970年頃に高田博厚この文章を書いた時に、それに対する彼の思いを書き足さなかったのはなぜかと思う。

 「分水嶺」の文章を読んでまさしく「時代性」について考えた。その頃に開催された世界万博で、少数民族の人間が生きた展示物になっていたことを思い出した。世界人権宣言が採択されたのは1950年である。長い人類の歴史の中で、すべての民族が人間として等しいと宣言されたのは、ごく最近にすぎない。そして子供の人身売買は今でも行われており、深刻な問題である。


 

2020年12月2日水曜日

旅行ができるようになったなら

昨年の秋にDijionで宿泊したフランスのホテルチェーンから月に一度プロモーションメールが来る。「12月から1月に欧州内のホテルで特別割引料金です」という内容なのだが、だれもそんな旅行ができないとわかっていてもこのような宣伝をするのは効果があるかもしれない。いつ行けるかなと夢見ることができるから。

今度行ってみたい場所のぼくのリストは増えている。一番新しく加わった場所はイタリアのアッシジで、数日滞在して、城壁の上から夕日が沈むのを見たい。須賀敦子さんが友人と見たように。

 イギリスのエディンバラのスコットランド国立美術館に行きたいというメモもあるが、誰の作品を観たかったのかを忘れてしまった。

 

 
食事後の一人分のデザートアラカルト

   Dijionにて


2020年12月1日火曜日

PhDのラボの選びかた

日本では、学部4年目の卒業研究、修士課程、博士課程を同じラボで行うのが普通です。修士、博士の段階でラボを変えることもできますが、特に博士で変わる場合は研究内容が変わり、新たな出発になるのでデメリットがあります。実際、卒論での発見を発展させて博士論文になった例が私のラボで何回もありました。学振のDC1の申請は修士の2年次に行いますが、その時に新しいラボのテーマで申請するのは簡単ではありません。

しかし、このような囲い込みは海外では一般的ではありません。まず、研究は博士課程で初めて本格的になります。もう一つの大きな違いは、博士課程は給料をもらって行うものである。日本のように授業料を払うのは、ありえない状況です。

ある時、英国の地方大学で私の知り合いがPIをしているラボのポルトガル出身の女性のPhD院生と、ここのラボをどうして選んだの?と話していた。

博士コースのラボを選ぶのを支援するグラントをもらって、世界中のいくつかのラボに滞在して決めたという。欧州、英国、米国、オーストラリアのラボ(ほとんどが私が知っているラボだった)に長い場合は一月(全旅程で数ヶ月)も滞在したという。

航空運賃、滞在費などすべてそのグラントが持ってくれるのだという。そのグラントはラボを決めないで、ラボローテを世界的にすることを含めてPhDコースを支援するグラントだと思います。

ラボ選びは難しいです。PIとだけ話していてはラボの雰囲気はわかりません。 PIがどれだけすばらしい業績をあげているからといって、人間的によい指導者とは限りません。PIが、博士の院生が博士号を取得できるようにどれだけ後押ししてくれるかが重要です。

NCBSのあるラボではPhD取得のお祝いにこのようなGraphic abstractのケーキが用意されていた
 

2020年11月18日水曜日

日本のカレーとインドのカレー

インドに滞在しているというと「毎日カレー?」と訊かれることが多い。欧米では、日本ではいつも寿司を食べているの?と問われることがある。その場合、欧米の寿司と日本の寿司は違いはあるものの、たいだい同じものである。しかし、カレーの場合には日本とインドのカレーはまったく違うので答えられない。

インドには日本のカレーはない。日本のカレーは日本人が作り出したものである。日本人は海外の食メニューを作り変えるのが得意である。ココイチが最近、デリーに出店したが、インド人はこれが日本のカレーかと驚いているはずである。

ではインドのカレーはどのようなものか?「インドとは?」という問いから考え直したい。インドは多くの国が集まった連邦国家のような国である。言語にしても少なくとも24ある。カレーも場所によって家庭によっても異なっている。

多数のスパイスを混合して、インドではベジタリアンが多いので、野菜や豆のカレーが、丸い金属の容器に入っているのが出る。レストランに行けば、チキン、マトン、エビ、カッテージチーズを煮込んだカレーがある。それをお米や様々なドーサと食べる。日本のインド料理の店ではかならずナンがあるが、インドでは多種類のナンに相当するものがある。

 
          レストランでの"パン"の種類

2020年11月15日日曜日

serendipity 科学的発見は偶然に 

これは昔書いた文章です。
 
昨夜、ストックホルムでの本庶先生のノーベル賞受賞講演を聴きました。最初は少し緊張されていたようでした。話の内容はもちろん研究中心でしたが、天文少年が医学部を目指すようになったのは野口英世の伝記を読んでからだそうです。(伝記の野口英世は素晴らしいのですが、彼の研究に対する国際的な評価は高くありません)私が本庶先生の学術講演を初めて聞いたのは、たぶん先生が東大におられたときの遺伝学会、そして基生研だと思います。基生研の時の講演は流暢な英語だったので、その時のことを思い出しました。
 
本庶先生が若い時に米国のボルチモアのカーネギー研究所で研究を始めた頃のスライドがありました。私は30年ほど前にその研究所に行ったことがあるのですが、私が日本から来たと知って、たぶん技官をしている黒人の女性がTasukuは元気か?と尋ねました。
 
その頃、私は本庶研と共同研究をしていたので、もう偉くなっているよ!と返事をして、帰国して本庶先生に会った時にその話をしたところ、ああ(名前)ねと言われました。彼女がまだ生きていてTasukuがノーベル賞を受賞したことを喜んでくれればいいなと思いました。

講演の中で「私はただ幸運だった」という言葉が印象的でした。研究者が画期的な成果をあげられるかは、多くは運だと思います。だから、成功した人も、しなかった人もそれほど違わなくて、多くの人が挑まないと新しい発見は生まれないのです。

2020年11月13日金曜日

言い逃れる言い方 第3波

2020.11.12
日本医師会「第3波と考えてもよいのではないか」
加藤勝信官房長官「政府は具体的な定義を定めているわけではない」


10月末の北海道の感染者数の上昇率を見ていると、このまま増加して第3波になることが予想された。同様の傾向は大阪や愛知でも見られていたので全国的に広がっていくと思われた。実際、11月に入ってからもその傾向は続いたので第3の波が来ているのは明白である。

政府は「11月以降、増加傾向が強まっている」と述べているが、それは第3波とは言えないという主張だ。政府が具体的な定義を定めているわけではないという主張の裏は、定義を決めてそれに当てはめて言うべきであるという考えだろうか。もし定義するならば統計的な検定値が必要で簡単にもっと早期にできる。専門家委員会で定義して、そのデータを元にして国民に注意勧告してほしい。

問題は、政府がこの数ヶ月の間、感染を広げる可能性が高いGOTOキャンペーンなどを推進してきたので、それが感染者の増加を引き起こしたのではないかという検証が必要である。GOTOで北海道へいつ何名が行ったかのデータは集計できるので、そこから数理モデルで考えることはできるはずだ。モデルを立てるまでもないが....

数理モデルによる予測は、西浦先生だけでなく日本にいる多く数理生物の研究者もできるので、共同で取り組んでほしいものです。

 

2020.11.18 追加

昨日、Googleが日本の感染者、死亡者の予測を公開しました。日本にも予測できる研究者が多いのですが、西浦先生が非難されてからだれも公開しなくなったのは残念です。

2020年11月11日水曜日

ドイツでの暗闇の夕食 適正な明るさについて

30年ほど前に初めてドイツに行った時のことを思い出した。研究所に有名な昆虫生理学者のラボを訪ねた。セミナーの後で、先生の自宅に招待されて先生自ら夕食を準備してくれた。先生は一人住まいだった。あなたは疲れているからソファで横になって休んでいなさいとオレンジジュースを出してくれた。

夕食が出来上がって二人で話をしながら食べ始めた。日が暮れて部屋がだんだんと暗くなっていくのに先生はなかなか照明を点けない。暗闇の中で二人で話していた。何を話していたかはもちろん覚えていないが、暗い部屋の中の情景ははっきり覚えている。高齢の著名な先生が日本から来た若造に夕食を手ずから準備してくれるなどという体験があったことは、いまでも信じられない。

海外で煌々と明るい家には日本人が住んでいると言われるそうだが、日本の夜、室内は明るい。海外では、スポットライトを用いた局所的な照明が一般的だ。それもタングステンの赤い光だ。それはホテルでも同じ。国際線の飛行機内の照明も日本のエアラインは明るい。生物学的には、夜は暗くなるほうが生物時計にとって好ましい。明るすぎると時計はまだ昼かと思ってしまうからである。そして夜更かしの生活になる。

 日本の夜の室内照明が明るくなったのは、戦後、経済成長が著しかったころではないだろうか。人々は明さが豊かさ象徴と誤解したのではないか。節電的にも、生物学的にも夜は暗い方が望ましいが、どのようにしてその変革が始まるのだろうか?



2020年11月9日月曜日

多和田葉子「言葉と歩く日記」 

 多和田葉子「言葉と歩く日記」を読み終えた。多和田葉子は22歳でドイツに移住して以来ドイツに住み、日本語とドイツ語で小説を書いている作家、詩人である。興味深いのは、日本語とドイツ語を独立に操ってそれぞれの言語の小説を書いていて、例外を除いて自分の作品を訳さないことである。この岩波新書は「言葉」に注目して1月1日から4月14日まで記した彼女のユニークな日記である。

 日本からベルリンへ戻ったばかりなのに明日はアメリカに行かねばならない。

国際的に注目されているこの作家は、いろんな国で開催される文学と言語に関わる集まりに頻繁に招待されて、自分の作品を朗読したり講義をしている。そのいくつかは文学カフェのような雰囲気のものではないかと思う。そこには、異なる国の出自も違う様々な作家が集うことがあり、言語世界を交叉するようなコスモポリタンな空間ができるのだろう。一度、加わってみたい。

この日記で、興味をそそる多くの話題に接することができたが、以下の2つだけを取り上げる。

⭐️ 有名な川端康成「雪国」の冒頭である。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
これをサイデンステッカーは次のように訳した。
The train came out of the long tunnel into the snow country.
この様子を描いてもらうと、日本語を読んだ人は車内からの情景を描き、英語の人はトンネルから出る列車を上空から描くという記載があった。pp.173 このことを少し考えてみた。

日本語には列車という主語がなく、読者は、私あるいは誰かが乗っていた列車を主語とし補足して読むので、情景は車内からになる。英文には私はいなく、列車が主語であるので外からの情景になる。英語では、I was on the trainを入れないと内側からの情景にはならないが「私」があると次の文章につながらないのである。

⭐️ ドイツの少年刑務所で受刑者たちが演じる演劇の公演があり一般の人が観劇できる。作家は応募してこの劇を観た。劇は演出家の指導があった。男性と暴力がテーマの劇は、ギリシャ悲劇を取り込んだもの。劇を観ていた看守が驚きの表情をしていたという描写がよかった。芝居が終わると100人ほどの観客と14人の劇の参加者が交流して自由に話をする立食ワイン会が持たれたという。作家は劇の参加者と話を交わしている。劇の参加者は、トルコとアラビア語圏の少年が多かったという。つまり、ドイツに移民として来て犯罪を起こしてしまったわけだ。pp.179

つい最近、福岡で更生中の少年が殺人を犯した悲しい事件があった。少年刑務所で受刑者が演劇をして一般の人と話をするという状況は日本では想像もできない。更生のプロセスとしてとても意味がある活動だと感銘を受けた。

「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦」というオンラインレクチャーがあるそうです。

 ほかにも考えさせられる文章があった。

福島原発で事故が起こった時、ドイツ人は自分の国に起きた事件のように大きな衝撃を受けた。そこから脱原発の結論が出るまであまり時間はかからなかった。pp.131

雪がゆっくり落ちてゆくのを見ていると心が落ちつく。わたしは前世はシロクマだったかもしれない。pp.114
 



2020年11月7日土曜日

実家はどちらですか?

「実家がドイツにある」と聞いて違和感を感じた。実家は日本にあるのが普通だと思っていたからだろう。「実家」は家を重んずる日本人らしい言葉だと思う。両親が住んでいて、自分が生まれた家というのが定義だ。しかし「実の家」という表現の背後にある考えは好みではない。「家」が途絶えなく移住もなかった時代の言葉だろう。

「実家がドイツにある」のは両親が住んでいるのがドイツという意味だ。では、両親がすでに亡くなって、その家はもう売り払ったという場合は、私の実家はもうないことになるのか。両親が老後に引っ越した場合はどうなるか。いろいろなケースがあるが、実家の意味は時代と共に変化している。私の実家はもうないと書くと、山崎ハコの「望郷」の歌を思い浮かべる。

「あの家に帰ろうかあの家に帰ろうか あの家はもうないのに」

広辞苑の実家の項目には「家制度の廃止によって、法律上は廃語になった」とあった。家制度は明治時代に民法で規定され戦後に無くなった制度である。
家制度で思い出したが、「父兄」という言葉が今でも使われている。これは直ちに廃語にしてほしい。

2020年11月4日水曜日

ヨーロッパ、哲学、音楽、歴史

これまで、フランス 、ドイツ、ポーランド 、インド、韓国の研究者と共同研究を行って論文を出すことができました。私が欧州に行くようになったのは2000年以降、韓国とインドは2010年以降です。それ以前は米国にばかりに行っていました。なぜなら、米国の科学研究は世界の最先端をいっており、大学や研究所の体制が優れていると思っていたからです。一方、欧州の科学は一歩遅れていて、行く価値はそれほどないと思っていたのです。学会などの学術集会も米国で開催されるのばかりに参加していました。しかし、米国の研究者との共同研究の論文は1編しか生まれませんでした。それも、last authorを米国の研究者が要求しました。

世界に先んじた研究を日本で行っても米国の研究に先を越される経験を何回かしたことがあります。米国の研究がトップを行っており日本の研究はその下を行くと思われている。もちろん、ノーベル受賞者を見ればわかるように日本がリードした研究はありますし、近年では米国、欧州でPIとしてラボを率いている日本人の研究者は増えてきました。

日本と米国の不均衡な関係の背景には日米の戦後史を無視することはできません。日本は戦後も米国の支配下にあり独立国家とは言えません。それは、沖縄を初め各地にある米軍基地を見ればわかります。基地とその上空は米国のものです。日本が米国の保護国であるという印象は多くの白人の米国人が抱いているのではないだろうか。

さて、 欧州の研究者と共同研究を始めると、対等な立ち位置でできることがわかりました。彼らも私たちと同じように、米国に対して対抗意識があるので共闘できます。フランスやドイツに行き始めて、その国の人々の半数ほどはアメリカ合衆国に対して良い印象を抱いていないことを知りました。アメリカナイズされていた自分には驚きの発見でした。少数ですがフランスには英語を話したくないという学生が今いました。

米国の研究者とそのような話をすることは皆無ではないが、欧州の研究者と親しくなってわかったのは、歴史、政治の話が普通にできることです。欧州に行くようになって、私は若いころにフランスやドイツの哲学、文学や音楽によって養われていたことを思い起こした。パリのカルチェラタンの通りを歩く時に、同じ道を歩いていた先達を思い出す。

 


2020年10月31日土曜日

BLM を理解するために  安岡章太郎「アメリカ感情旅行」

 BLM運動を理解するための本があるサイトで何冊か挙げられていて、1冊が岩波新書の安岡章太郎「アメリカ感情旅行」(1962年)だった。現在絶版だったが図書館で借りてきて読了した。作家の安岡章太郎が、1960年にロックフェラー財団の文化人奨学生としてテネシー州のナッシュビルに半年ほど滞在した見聞記である。

なぜ、彼がこの地を選んだかと言えば、南北戦争に敗北した激戦地で黒人差別の実情を見たいと思ったからだ。たいへん読み応えのある日記だった。この頃は、黒人は映画館に入ることができなく、レストラン、トイレも別だった。ちょうど、ケネディ大統領が就任したときだったが、彼の周囲にケネディを歓迎する雰囲気は皆無だったという。今の時代のBLM運動には米国建国以来の長い歴史的な流れがあることを考えさせられた。安岡は、日本人が米国でどのように受け取られるかにも注意しながら生活をしている点も興味深かった。

pp.180 「広島で原爆を使ったのは平和を早くもたらすためだ」というのは本気でそう考えているのかもしれない。

様々な体験を通しての著者が最終的に思ったのは、日本人も黒人も白人もすべて同じ人間であるということだった。ちなみに、私は研究活動として何度も米国に行っているが、出会った研究者に黒人は一人しかいなかった。その人もその後、アカデミアに残っていないと思う。大学や研究所の建物、ホテルで掃除などを担っているのは黒人だった。


 

2020年10月26日月曜日

入国審査  寛容と人権

1997年に初めてロシアのペテルスブルグに行ったとき、入国審査のブースのあたりは暗くて、卓上の蛍光灯に照らし出された女性の審査官に冷たく鋭く睨まれた。パスポートのチェックは何を見ているかわからないが長かった。それから10年以上たった2011年に再び行った時には、その雰囲気はすっかり無くなっていて少し残念だった。あの冷たい入国審査を再体験したいと思っていたから。ロシアの査証を得るのはひどく大変だったことも思い出した。

パリのシャルル・ドゴール空港の入国審査の人に
、Bonjourとパスポートを差しだすと、中を一瞬見てそのまま返されることが何回も続いた。入国のスタンプを押してもくれないのだ。さすがに最近はスタンプを押してくれる。

そういえば、昔、大学で海外出張した時には、出国と帰国のスタンプがあるパスポートのページをコピーして提出する必要があった。その昔は「ただいまから出国します」と事務に電話連絡することが要ったそうだ。

洪世和
「セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる」(米津篤八訳 みすず書房 2002)の訳者のあとがきに書いてあった印象的なことを思い出した。日本人の訳者と在日朝鮮人3世がフランスに入国する際に、パスポートを持たず在京のフランス大使館発行の書類を持つ在日朝鮮人3世が別室で審査を受けたときに、日本人が「彼女は難民だ」と言った瞬間に係官は「ああ、そうだったのか」と二人を通過させたという話である。それは2001年、私がフランスに頻繁に行き始めた頃だった。しかし、そのころから、移民は欧州で大問題になってきた。

 

書きながら思い出したことがもうひとつあった。日本で教師としての働きを終えて単身でフランスに移住した日本人の方と知り合いになった。彼女は最近、長期の滞在許可をもらったが、そのときにフランス国民として一番大切なことが何かについて担当官から話があって、それはこの国は人権を大切にすることを憶えるようにと言われたという。寛容と人権がフランスの中心にあるのだ。

私が、初めて欧州に行った時には、フランスの通貨はフラン、ドイツはマルク、オランダはギルダーだった。しばらくして、ユーロが導入されてすごく便利になった。シェンゲン協定で国を自由に移動できるようになってひとつの欧州を実感できた。最初に着いたシェンゲン協定国で入国審査を受ければ、国内線の感覚で乗り継いで他国に行くことができる。

入庫審査で意外に厳しかった体験は、カナダ、英国入国の時だ。ニューヨークからエドモントンに行った時に入国の目的を詳しく問詰められた。シェンゲン国の入国審査では何かを訊かれることはほとんどない。これも日本のパスポートが強いからだろう。

インドの入国には毎回査証を事前にゲットしなければならない。数年前から、ウエブで申告するだけで到着時に査証が得られるon arrival visa ができて楽になり、昨年は5年間有効の査証がゲットできた。

 しかし、Covid-19の影響でその査証は無効にされインドに行くことができない。最近、研究者の査証を申請することができるようになったようだが、非常に煩雑な手続きであることを知っているので躊躇する。その前に、日本からバンガロールに飛ぶ以前利用していたフライトがまだない。


             NCBSの中庭

2020年8月13日木曜日

カモメに飛ぶことを教えた猫

ルイス・セプルベダ/河野万里子訳『カモメに飛ぶことを教えた猫』(白水社)を市民図書館で借りてきて読了。チリ生まれでスペインに住んでいたルイス・セプルベダはコロナで4月に亡くなってしまった。

「これまできみが、自分を猫だと言うのを黙って聞いていたのは、きみがぼくたちのようになりたいと思ってくれることが、うれしかったからだ。でもほんとうは、きみは猫じゃない。きみはぼくたちとは違っていて、だからこそぼくたちはきみを愛している」

「きみのおかげでぼくたちは、自分とは違っている者を認め、尊重し、愛することを、知ったんだ。自分と似た者を認めたり愛したりすることは簡単だけれど、違っている者の場合は、とてもむずかしい。でもきみといっしょに過ごすうちに、ぼくたちにはそれが、できるようになった」

「飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ、ということ」

美しく、心が洗われる猫とカモメの物語だった。



肌の色が問題なのか?

「副大統領候補にハリス上院議員  黒人女性初」ってニュースにあるが、黒人の定義は?ハリスさんの母親はインドからの移民、父親はジャマイカからの移民だ。ジャマイカの人も原住民、スペイン、英国出身などいて多様だ。肌の色は様々だから黒人、白人という区別する名称は使わなくても良いのではと思う。黒人をアフリカに限定するのもおかしい。肌が黒くてもアフリカには多様な人がいる。

2020年7月25日土曜日

新型コロナウイルスに対する正しい理解と適切な対処

多くの研究者の努力によって、新型コロナウイルスについて多くの事実がわかってきました。しかし、どのように対処すればよいのかはまだ手探りの段階で、世界的にも混乱しています。

「新型コロナはただの風邪で、致死率も低く、そのうちに免疫ができるので自粛、対策は必要でない。高齢で持病がある人の死期を早めているだけだ。」という人がいます。しかし、新型コロナウイルスが標的とするのは、風邪の様に上気道だけでなく、肺、腸などの様々な臓器に加えて血管などの上皮細胞であり、単なる風邪ではありません。

唾液腺でも増殖し、嗅覚、味覚異常も引き起こします。免疫系を混乱に至らせて症状が急激に悪化することがあります。また、最近わかってきたことは、風邪のように元どおりに治るのではなく後遺症が残る場合があります。

新型コロナが現れた頃、このウイルスがSARSのように致死性が高いウイルスであると想定した対処法が取られました。小学校で一人の感染者が出たら、全学休校にして学校内を消毒する作業が行われますが、ウイルスの生存時間、その量を考えれば、この消毒はほとんど意味がありません。接触感染よりも空気感染に注意が必要です。
新型コロナに感染して死亡した場合、親族が火葬にも立ち合うことができませんが、これは酷く過剰な対応です。

このウイルスの厄介な問題は、感染しても無症状か軽症の人が多く、そのような人が感染源にもなることです。無症状の人は、過去に風邪コロナになったときに免疫ができていて、その免疫細胞(抗体による液性免疫でなく細胞免疫)が新型に対しても有効である可能性があります。5報ほどの論文が、T細胞免疫の重要性を明らかにしています。しかし、もし、その違いが重要であるなら、その細胞免疫がない人は確実に重症化するので、それを防ぐ対処が必要です。 実に今回のウイルスのやり方は巧妙です。


実際の対策を考えるには、数理モデルによる予測が必要です。感染者、免疫保持者の実データに基づいた複数のモデル予測ができるとよいのですが。残念なのは、数理モデルに対する一般市民の理解がないことです。それは無理もないと思います。

Cell, Nature, Science, Lancetには毎号、 SARS-Cov2の論文が掲載される。残念なのは、日本初の新型コロナウイルスの発表、投稿論文がとても少ないことです。ウイルスの遺伝子配列の決定数も少ないと思う。

バナナについて思うこと

朝食にバナナをヨーグルトに入れて食べている。たぶんドイツに長期滞在していた頃からの習慣だ。ドイツではフルーツやドライフルーツが安いので、いろんなのを買ってヨーグルトに入れて食べていた。日本に戻ってからヨーグルトを家で作るようになってもバナナを食べ続けているが、バナナ以外の果物は高いのでプルーンを時々入れるくらいである。

バナナにはGABAというアミノ酸の誘導体が含まれていて血圧を下げる作用があるそうだ(Doleが機能性食品表示を始めた)。日本ではバナナは数本がパックなっていてそれを買うしかない。店頭に並んでいるのはちょうど熟して食べ頃である。買ってきて食べきるには6日ほどがかかるので、数本は密封して冷蔵庫にいれたりするがそれでも熟しすぎてしまう。14度が保存に適した温度である。

ドイツのスーパーではバナナの房がそのまま大籠に入っていて、欲しいだけもぎ取って買うので熟しすぎることはあまりなかった。リスボンでアパートの近くの個人経営のお店でバナナを買ってきたところ、まだ熟していなくて窓辺に数日放置していた。このどちらかの売り方が日本にもあるといいと思う。

2020年7月24日金曜日

バロック音楽のたのしみ

日曜日の朝8時からNHKで「音楽の泉」というクラシックの音楽番組があって、昔から時々聴いていました。その解説を30年以上も担当していたのが皆川達夫先生です。先生の語り口はとても明晰で優しく癒されました。その前には、NHK-FMで、早朝に毎日「バロック音楽のたのしみ」(1965-1985)を担当していて、それも若い頃に聴いていて、バロック音楽について多くを教えられました。朝に、皆川先生の静かな解説とバロックを聴く時間は、至福のときでした。その頃、NHK-FMは、放送試行期間で、他の番組でもただ音楽を流すだけの番組がほとんどでした。

ところが、今年の4月頃に「音楽の泉」を聴いたら、皆川さんが出ていなかったのです。先生の最後の番組は3月29日で、4月19日に92歳で亡くなられたことを知りました。亡くなる直前まで頭脳明晰に解説を語っておられたのです。3月29日の「音楽の泉」は再放送されていて聴きました。その日の曲は、バッハのシャコンヌで、最後に、先生からの簡潔なお別れの言葉がありました。
 
先生は立教大学を定年退官後、平戸の生月島のキリシタンが歌っていた「オラショ」(ラテン語で祈祷文)の原曲を7年間も探し求め、16世紀のイベリア半島で歌われていた聖歌であることを突き止めた発見は感動的です。

2020年4月16日木曜日

ウイルス界における新型コロナウイルスSARS-CoV-2の活動報告  成長戦略の評価と我々の未来

我々ウイルスの生存戦略は「宿主をあまり殺さないようにしつつしぶとく増殖する」ことである。宿主を変えることも我々の成長戦略である。地球上での我々の歴史はどの生物より古く、生命の起源と進化に貢献してきた。我々は生物であるのか?そうではない。我々は生物の範疇には属さない独自の物体でもある。人間は、我々の定義に困り、生物と無生物の間にあるもの、不完全は生物などと呼ぶが、我々のごく一部しか知らない。我々は実に多勢で、多種多様であり生物進化において我々が果たしてきた役割を人間はまだ理解していない。

さて、今回、
SARS-CoV-2と命名いただいたコロナウイルスの人間界での新規の感染戦略はかなりの成果があった。なによりも、パンデミックとなったことが戦略の成功を示している。我々の先輩であったSARS, MERSの過去の失敗経験を参考にして、致死率をインフルエンザ並みに低くしたことだ。それによって、人間に新型コロナは恐れるには足らないという初期の誤算を与えることができた。実際は肺炎を超急速に進行できた。人間の遺伝的多様性を利用した新たな戦略がCOVID-19の成功を導いたのである。

 我々にとって一番重要なことは、どのような手段で感染を広げてゆくかである。これについても人間はなかなか私たちの戦略を知ることできなかった。感染しても病状を引き起こさないという新しい生き方によって、加速的に空気感染で感染を拡散し、いまや世界中を飛び回る飛行機に乗って世界中の国々に仲間を送り込むことに成功した。

我々は故意にコピーエラーを起こすことにより遺伝子配列を変異させて、短期間の間に適応的な進化を成し遂げることができる。人間はわたしたちの遺伝子配列を手当たり次第に解読できる能力をこの10年ほどに得ていた。しかし、たとえ配列を解読できても、変異によって我々の能力がいかに巧妙に変貌したかを人間は容易に捉えることはできていない。

人間の免疫システムをいかに欺くかが我々の長期生存戦略のポイントである。人間は我々の顔である遺伝子産物であるタンパク質の立体的な構造を予測能力を獲得して、効果的なワクチンの開発を試みている。しかし、我々は人間の予測を越えて変異していくであろう。「宿主をあまり殺さないようにしぶとく増殖する」ことが基本方針であるのはかわわらない。我々は人間界からすぐに消え去るつもりはない。たぶんこれから数年をかけて、人間を試みるつもりである。その後、我々は人間と共存する道を選ぶかもしれない。我々の故郷であるコウモリには、さらに新たな生存戦略を身につけた仲間が人間界に移ろうと目論んでいる。別に我々は人間を恨んでいるのではない。ただ、太古からの営みを続けているだけだ。

最後に重要なコメントがある。我々の中で
SARS-CoV-2のようにパンデミックを引き起こすのは極めて例外的な者である。我々のほとんどの仲間は平和的共存の路線を選択しているのである。

2020年4月15日水曜日

COVID-19との共生

COVID-19(SARS-CoV-2)の情報を追いかけてきました。これからどうなるかが大きな問題です。みなさんワクチンに希望を託していますが、ワクチンは上手くいかない可能性があります。まず、免疫が成立するかどうかです。一度感染した人が再度感染する例が報告されていて、免疫が成立しない人がいるかもしれません。次に免疫がどれだけ持続するかが問題です。ヒトに風邪を引き起こすコロナウイルスはすでに4種類知られていますが有効なワクチンはありません。さらに、COVID-19はすでに3つのタイプに変異していますので毎年有効なワクチンが用意できるかが問題です。集団免疫の成立が無理であれば、ヒトはCOVID-19としばらく共生を続けることになりますね。

今回の問題は、緊急事態宣言出されたが、その具体的なやり方、クローズする範囲を決めて訴えるために1週間ほど要している点である。なぜ、事前に決めておいて直ちに訴えることができなかったのか。医療崩壊を引き起こさない方策も事前に調査、検討して具体案を立案しておくことができた筈である。東京都と政府の協議も事前に行うことができた。1月から2月の間にこれらの問題に対処するグループを立ち上げてやっておくことができたのではないか。さらに、数理モデルに関する複数の研究者が共同研究で予測を立てる。新規の感染者のウイルスの遺伝子配列の網羅的解読と解析が必要である。


日本での感染者の増加は中国や欧米の流行から遅れていたので、準備しておくための情報も余裕もあったはずなのに、なぜ今になっても決められないのか全く不可思議である。

2020年3月27日金曜日

希望のヴァイオリン

ベルリンフィルのホームページにはデジタル・コンサートホールがあります。新型コロナウイルスの蔓延によってベルリンフィルが閉鎖されましたが、デジタル・コンサートホールが無料開放されたのです。毎日、1曲づつ聴いています。カメラワークがすばらしく臨場感を楽しむことができます。

数日経って、2015年1月27日に行われた「国際ホロコースト祈念日演奏会」を見つけました。そのコンサートでは特別の演奏と詩などの朗読とスピーチがあります。

「イスラエル在住のヴァイオリン職人、アムノン・ヴァインシュタインが長年集め、修復してきたホロコーストの犠牲者が所有していた弦楽器をベルリン・フィルの団員が奏でたのです。」

https://www.digitalconcerthall.com/ja/concert/21025#

マーラーの交響曲第5番 第4楽章アダージェットは心が震える演奏でした。