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2021年4月19日月曜日

インドで感染者急増 新しい2重変異コロナウイルスB.1.617

インドの友人の320日のメールでは、数週間前に感染者が落ち着いてきたので研究所は研究活動を全開にすると決めた直後にまた感染者が急増してきたとあった。インド行きが遠のいた!

 

増加は異常なほど急である。おそらく一番の原因は安心してマスクを外してしまったことだろう。これはB.1.617変異系統によるもので、E484QL452Rの2重変異を有している。インドで12月7日に見つかっていた*。この変異によって感染力が強くなっているようで、現行のワクチンの効果は弱いようです。インドではワクチン接種が全国民の10%ほどになっているが効果はないようだ。インドでは昨年9月をピークとする感染で抗体を有している人の割合が高いと思われたが、B.1.617変異系統には効果がないようだ。

 

この変異ウイルスはすでに世界各地に拡散し始めている。英国では2月に発見されている。ニュージーランドはインドからの入国をすべて禁止した。ニューデリーから香港に到着した飛行機で47人の感染者が到着後の12日間の隔離待機後に見つかっている**。416日の日本の空港検疫でインドから乗客7人の陽性者が確認されているが、この変異コロナに感染していたと予想される。

 

世界中で変異ウイルスが生まれており、私たちは警戒をしばらく緩めることはできない。オリンピックで世界中の人が日本に来れば、まさに変異コロナウイルスのオリンピックが日本で始まることになる***。

 

* インドも英国に倣ってSARS-CoV2の遺伝子配列の決定を積極的に行っている。この変異ウイルスが生じてから3ヶ月後に、人々が警戒を緩めたとたんに拡散を始めている。同様に集団の中に潜んでいる変異ウイルスが存在することを警戒する必要がある。日本は水際対策が甘いので、すでに各種の変異ウイルスが入り込んでいる。中でも注意すべきは現行のワクチンが効かない変異体である。新たなワクチンの開発状況も政府は把握してほしいのだが、、

 

** Vistara flight UK6395 飛行機の客室の空気は効率よく換気されていると言われているが、47人の多くは機内で感染したのだろう。座席表を見ると怖しい。全員がマスクをしていたと思われるがそれでも感染したのだろうか?感染者は横並びの席の場合が多いが、前後の席でも起こっている。搭乗時にどの席の何人が感染していたかを知りたい。いずれにせよ、この変異ウイルスの感染力が高くなっている。

 

*** ワシントンでの記者会見で、菅首相が、ロイターの記者のオリンピック開催できるのか?という質問を完全に無視して、日本の記者を指名するとは!質問を無視するのは日本ではいつもやっていたけど、海外ではありえない!

 

4/24 追加  インドの看護研修生がパリに着いてからバスでベルギーに移動したが43人中20名が感染していることが研修地でわかった。 スーパースプレッダーによる感染かもしれないと報道されているが、香港の事例からすると、2重変異ウイルスの感染力が強いことによると考えられる。パリについたフライトとバスの乗客を調べる必要があるが、すでにフランスで広がり始めたかもしれない。同様のことが世界中で生じているだろう。

2020年11月18日水曜日

日本のカレーとインドのカレー

インドに滞在しているというと「毎日カレー?」と訊かれることが多い。欧米では、日本ではいつも寿司を食べているの?と問われることがある。その場合、欧米の寿司と日本の寿司は違いはあるものの、たいだい同じものである。しかし、カレーの場合には日本とインドのカレーはまったく違うので答えられない。

インドには日本のカレーはない。日本のカレーは日本人が作り出したものである。日本人は海外の食メニューを作り変えるのが得意である。ココイチが最近、デリーに出店したが、インド人はこれが日本のカレーかと驚いているはずである。

ではインドのカレーはどのようなものか?「インドとは?」という問いから考え直したい。インドは多くの国が集まった連邦国家のような国である。言語にしても少なくとも24ある。カレーも場所によって家庭によっても異なっている。

多数のスパイスを混合して、インドではベジタリアンが多いので、野菜や豆のカレーが、丸い金属の容器に入っているのが出る。レストランに行けば、チキン、マトン、エビ、カッテージチーズを煮込んだカレーがある。それをお米や様々なドーサと食べる。日本のインド料理の店ではかならずナンがあるが、インドでは多種類のナンに相当するものがある。

 
          レストランでの"パン"の種類

2020年10月26日月曜日

入国審査  寛容と人権

1997年に初めてロシアのペテルスブルグに行ったとき、入国審査のブースのあたりは暗くて、卓上の蛍光灯に照らし出された女性の審査官に冷たく鋭く睨まれた。パスポートのチェックは何を見ているかわからないが長かった。それから10年以上たった2011年に再び行った時には、その雰囲気はすっかり無くなっていて少し残念だった。あの冷たい入国審査を再体験したいと思っていたから。ロシアの査証を得るのはひどく大変だったことも思い出した。

パリのシャルル・ドゴール空港の入国審査の人に
、Bonjourとパスポートを差しだすと、中を一瞬見てそのまま返されることが何回も続いた。入国のスタンプを押してもくれないのだ。さすがに最近はスタンプを押してくれる。

そういえば、昔、大学で海外出張した時には、出国と帰国のスタンプがあるパスポートのページをコピーして提出する必要があった。その昔は「ただいまから出国します」と事務に電話連絡することが要ったそうだ。

洪世和
「セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる」(米津篤八訳 みすず書房 2002)の訳者のあとがきに書いてあった印象的なことを思い出した。日本人の訳者と在日朝鮮人3世がフランスに入国する際に、パスポートを持たず在京のフランス大使館発行の書類を持つ在日朝鮮人3世が別室で審査を受けたときに、日本人が「彼女は難民だ」と言った瞬間に係官は「ああ、そうだったのか」と二人を通過させたという話である。それは2001年、私がフランスに頻繁に行き始めた頃だった。しかし、そのころから、移民は欧州で大問題になってきた。

 

書きながら思い出したことがもうひとつあった。日本で教師としての働きを終えて単身でフランスに移住した日本人の方と知り合いになった。彼女は最近、長期の滞在許可をもらったが、そのときにフランス国民として一番大切なことが何かについて担当官から話があって、それはこの国は人権を大切にすることを憶えるようにと言われたという。寛容と人権がフランスの中心にあるのだ。

私が、初めて欧州に行った時には、フランスの通貨はフラン、ドイツはマルク、オランダはギルダーだった。しばらくして、ユーロが導入されてすごく便利になった。シェンゲン協定で国を自由に移動できるようになってひとつの欧州を実感できた。最初に着いたシェンゲン協定国で入国審査を受ければ、国内線の感覚で乗り継いで他国に行くことができる。

入庫審査で意外に厳しかった体験は、カナダ、英国入国の時だ。ニューヨークからエドモントンに行った時に入国の目的を詳しく問詰められた。シェンゲン国の入国審査では何かを訊かれることはほとんどない。これも日本のパスポートが強いからだろう。

インドの入国には毎回査証を事前にゲットしなければならない。数年前から、ウエブで申告するだけで到着時に査証が得られるon arrival visa ができて楽になり、昨年は5年間有効の査証がゲットできた。

 しかし、Covid-19の影響でその査証は無効にされインドに行くことができない。最近、研究者の査証を申請することができるようになったようだが、非常に煩雑な手続きであることを知っているので躊躇する。その前に、日本からバンガロールに飛ぶ以前利用していたフライトがまだない。


             NCBSの中庭

2018年11月19日月曜日

インドから来た院生

私が座っている場所から見える窓の外の風景
インドのバンガロールにある研究所InStemのラボと共同研究をしている関係で、相手ラボのマスターの学生を2週間ドイツで実験指導することになっていました。その計画は2月にインドに行ったときに決まっていました。

今年の3月にはデリー近郊の研究所の院生を名大で実験指導をしました。退官後にこのように、他の研究者のための手助けができることはとても嬉しいことです。来週にはフランスに行って実験指導をします。海外ではこのようなことを行う垣根が低いと思います。

彼はバンガロールからムンバイに飛びましたが、そこからフランクフルト行きの便に搭乗することができませんでした。なぜなら、前日にゲットしたビザが有効になる日付が1日遅かったからです。ところが翌日の便はなくて、ムンバイに2泊してからドイツに入国できました。彼にとって海外は生まれて初めてで、さらに飛行機に乗ったのも初体験でした。


そのことを聞いて私が大学院生の時に米国に行った時のことを思い出しました。東京の米国大使館で査証を貰ったと思います。警備が厳しかった成田空港に入り、中華航空の米国行きに乗ったのが人生初めての飛行機で、離陸の時に手に汗を握る感じだった。もう着いたのかと思って外を見ると目がさめるように美しい青い海が見えて飛行機を降りた。ホノルル乗り継ぎ便だったのである。緊張して入国審査を受けたことをその時の情景共に覚えている。良き先輩に誘われてUCLAのラボに2週間ほど滞在した初めての海外旅行だった。


2週間という限られた期間でデータを出さないといけないので彼は土日も実験だった。彼はとても頭の回転が早く手も良く動く。私がこれまで接して来た学生の中でもトップレベル!実験データをエクセルでまとめてパワポファイルで持って来たが、データの計算方法が間違っていたので指摘すると15分後に訂正して持って来た。普通の人だと絶対に30分はかかる作業だ!

彼はインドの南部の出身である。インドでは20以上の異なる言語が話されているが、彼の出身はタミル語の地方である。バンガロールの研究所で多くの院生はヒンディー語を話すが彼はさっぱりわからないと言っていた。ヒンディー語がインドの中部、北部で話されるメジャーな言語である。

2週間の滞在で、4種類の実験手法を伝授、指導して大凡の結果が出てよかったです。彼も有意義な体験だったと感謝してくれました。



インドへのお土産にチョコを買いたいというのでスーパーに案内し、ドイツのチョコがどれかを教えてあげました。ドイツのスパーは特にクリスマスの時期なので、いたるところにチョコ売り場があります。ドイツのチョコは種類が多すぎて選ぶのに困ります。もっともポピュラーなmilkaを推しました。レジで板チョコが大量に並べられ合計7000円ほどでした!友達が多いのだそうです。



 



この1週間でマグデブイルグはとても寒くなり、最高温度は10℃以下、最低は零下で霜が降りています。ドイツの冬を体験するのもいいなと思っています。日照時間も短くなってきました。朝ゲスハウスを出るときにはまだ暗く、帰る時にはすでに真っ暗です。ビタミンD不足にならないように紫外線にあたる必要がありますね。



2018年3月10日土曜日

インドでの新しい発見


1. インド北東部

今回、研究所に来ている3名の女子の院生と知り合いになりました。ヒマラヤ山脈の近くのインドの北東部出身の方です。インド北東部には200の言語の持つ少数民族の人々が住んでいます。日本は同調性が求められ、生まれながら茶色の髪の生徒は黒く染めることが強要される社会です。一方、インドはそれぞれが異なりながらもひとつの国を作っています。これまで私がインド北東部で知っていたのは日本軍が侵攻したマニプールだけでした。北東部の地形についても知らなかった。マニプル州イーターナガルは、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州の州都で紅茶で有名なアッサムもある。

北東部の研究教育環境の整備が遅れているのでNCBSの研究者が現地の大学との協力関係を築きたいというプロジェクトの予算申請を行い認められた。しかし、その研究者が急死したために私の共同研究者がその事業を担当することになり、3名の院生を受け入れているという。研究所の他の人はこんなことをやっていることを知らないと彼は話していましたが、私が大学で高校生を受け入れて実験していたときと同じだと思い起こしました。皆、日本と韓国に近親感を持っていてとても優しく、ちょうど市内で開催されていた日本バザールに一緒に行きました。

2. インドと日本

昼食時に会って話をしたインド人から三十三間堂や東大寺に仏教のインド伝来の痕跡を自ら見つけた話や、芭蕉の俳句を教えてもらった。英国のケンブリッジ大学の研究所とNCBSを掛け持ちしているインド人。子供の頃は貧しい家に住んでいたそうです。そこで貧富の差についての話がほとんどでした。アメリカのことを話していて、自分たちは難民としてやってきたのになんで今は難民を拒否するのか?昔のことを忘れているとも話していました。

日本にも毎年行っていてインドの仏教が日本にどのように伝わったかを実際にお寺に行って見ているそうです。三十三間堂や東大寺にはインドの言葉が残っているそうです。後で調べてみると、奈良の大仏の建立の事業を指揮したのはインドから僧侶だったことを知った。日本の仏教は中国から伝来が多いがインドから直接来ているものがあるということですね。また彼は俳句を英語で読んでいて奥の細道を回りたいと言っていた。まさかインド人から芭蕉の句を教えてもらうとは。彼がすばらしいと言っていた句は以下のもので解説をしてもらいました。

     手に取らば 消えん涙ぞ熱き秋の霜



3. インドでの発見



インドのトイレの便器の横には蛇腹の先に小さなシャワー口がついたものが置いてあるのに気がついていましたがその用途を考えたことはなかった。RCBの研究所のトイレに行ってみるとトイレットぺーパーが置いてないのです。困ったなと思っていて気がつきました。それが手動式のウオッシュレットだということを。使ってみると冷たい水が生きよく良く出て気持ち良かったです。問題は残った水分をどのように除去するかですが、事前に考えていて部屋にあったトイレットペーパーの切れ端を持っていたので大丈夫でした。バンガロールの宿舎のトイレはトイレットペーパーがいつも置いてあったので気がつかなったのです。それにバンガロールの新しい研究棟のトイレは近代的なものでした。高級ホテルなどのトイレには手動式のウオッシュレットはありません。ところが、帰りにニューデリー空港のトイレを見たら手動式シャワーがありました。

もうひとつの発見はインドのワインが美味しいことです!





2018年3月6日火曜日

デリーへ


昼間にバンガロール空港へ移動するのは初めてだった。バンガロール空港での発着はこれまですべて深夜だったから。空港に近づくと道路の両側にはGarden Cityの名にふさわしく綺麗な花々と樹木が延々と植えられていた。空港は近代的で広く、市内の混乱ぶりからは想像できないほど整備されている。Air Indiaのチェックインは難なく終わり、1階の左奥のエレベータを上がって国内線の荷物検査を受ける。男女に分かれていてまず荷物をベルトコンベアにおいてから並ぶ、X線の検査は両手を広げて台の上に立って綿密に行われる。終わってから検査のおじさんに搭乗口を再確認されたのは国際線と間違えていないかと思ったのだと思う。

 

インドの国内線は初体験でニューデリーに飛んだ。Air Indiaはインドのメジャーなキャリアだが3時間半のフライトで運賃は5千円ほどである。デリーの気温は23/8°Cとバンガロールより涼しくなる。訪問先はデリーの郊外のFaridabadで、Regional Centre for Biotechnology (RCB)という研究所があり、その研究所でラボを立ち上げた研究者P.I.のmentorになったので訪問して1週間滞在する。まずは学生向けのセミナーを頼まれたので準備をしている。


今回の旅でニューデリー空港と香港空港がsilent airportだった。つまり搭乗の場内アナウンスがないのです。搭乗口に背を向けていると搭乗が始まったのがわからなかったことがある。silent airportは海外で多くなっているようだ。日本はバスでも電車でもアナウンスが過剰です。silent airportにいるといかに静寂がすばらしいものかを実感することができた。

空から見るインドの大地は意外にも緑が多かった。到着後、しばらくして第二陣で荷物が出てきた。ピックアップして外にネームタグを持ったタクシードライバーがいるはずが見つからない。しばらくして、出迎えの人に尋ねたらさらに出た外にも待っている人がいるという。慌てて行ってみるといて安心。宿舎までの高速道路でもやはりインドの雰囲気だった。到着した宿舎は意外と古い。管理人のおじさんは英語がそれほどでもないがとても親切でいい人だった。食事の時間に食堂に下りて行く時におじさんが急いで付いてきてくれて食事の案内をしてくれる。そして食事中も執事のようにいてくれたお代わりも持ってきてくれて食べ終わったら片付けてくれる。最初の頃は悪いので食べきっていましたが、最近はおかわりを断っている。ここは3度の食事がでるようだ。ベランダの窓は開けないように言われた。お猿さんが入ってくるそうだ。外も散歩するときは蛇がいるので注意するように言われた。蛇がいるのは、蛇と共に生きるというポスターが掲示されていたバンガロールも同じだった。インドでは、牛や犬や猿だけでなく、蛇やアリであっても共に生きるとのがポリシーである。 


宿舎の部屋のベランダの朝 一家の来訪


翌朝、ラボの二人が迎えに来てくれた。宿舎は研究所の敷地内にあるがラボがある建物までは10分ほどである。研究所の周囲には何もない。ここはジャングルの中に建てられた研究所だと言われた。だから、猿や蛇がいっぱいいるという。ジャングルといってもインドのジャングルのことだろう。

月曜日から木曜日はセミナー、研究の議論をして実験のデモもした。一人の研究者が日本に来て実験を行うことも決まった。南インドの新興都市であるバンガロールと北インドの歴史ある都市デリーは別の国といっていいほど異なるのではないかと感じた。私がそれぞれの土地で接しているのは研究所と宿舎という限られた範囲ですが、人も食物も自然環境もかなり違っているのではないかと。デリーはヒンディー語の土地なので割と皆がヒンディー語をしゃべります。だから英語が得意でない人がいます。バンガロールは違う言葉を使う人が集まっているので英語がメインになっている。RCBでは学生を含めて多くの人がとても親切で案内してくれたり、声をかけてくれたりする。ほとんどの人がベジタリアンで食事もNCBSと比べると質素である。NCBSはインド国外出身の研究者も目がついて国際的であるがRCBではまだ外国人を見なかった。

金曜日のお昼にSurajkund International Crafts Melaという国際工芸バザーにラボに皆で出かけた。木工品とか家具、衣類の店がたくさんありました。土日はすごい人になるそうです。こういうところで買い物する時は外国人は当然ふっかけられるので現地の人に値引き交渉をしてもらうのがいいです。今日も300ルピーが最後は200ルピーになりました。値札もレシートもありません。一人では絶対に来ることができない場所だった。食べ物だけでなく植物も風景も人間も多様で日本と違っていて楽しめる。インドで独特だなあと思うのは色使いだ。特に女性のサリーに使われている色は独特で、赤も日本の赤と違います。日本では絶対に使わない色調とその組み合わせがあります。食堂のテーブルの鮮やかなブルーもそうですがお札にも青色が使われている。






土曜日はデリーに買い物に連れていってもらった。どこに行きたいかと問われてガンディー博物館と答えていた。ガンディーについての本を若い頃に読んでその思想に共鳴していた。古くて内装がしっかりした建物にはガンディーの生涯を辿った写真が解説とともに並べられてその歩みを再確認することができました。彼が使っていた品々と糸車も展示されています。非暴力と愛の思想は今の時代においてこそ聴かれるべきとの思いを強くした。


帰国する日曜日は夕方まで宿舎でゆっくりしていた。お昼過ぎにP.I.の一家が持ち帰るハエと一緒にプレゼントの本を持ってきてくれた。その前に二人のメンバーがお別れの挨拶のために部屋に来てくれた。昼食後には荷物を詰めてゆっくりしていた。6時に車をお願いしていたが5時半には来て空港に向かった。予想外に渋滞はなくて40分ほどで空港に到着した。3時間早い香港行きに変更を頼んだが追加料金がかかるかもと言われて予約通りの便にした。4時間ほどの時間を搭乗エリアで過ごした。デリー空港は巨大で、インドかぶれした服装の西洋人がたまに歩いていておもしろかった。深夜の2時にデリーを発ち朝の香港に着いて乗り継ぎも問題なく、午後の3時に雪の福岡に帰国。RCBにはこれから毎年行くことになる。

2018年2月28日水曜日

バンガロールでの新しい発見


6度目のバンガロール滞在はこれまでと違うことがある。まず、定年退官して公務出張ではないので、余裕ができてこれまでは気にとめなかったことにも気がついて調べたりしていることである。2つ目はこれまでは研究所の敷地内のゲストハウスに滞在していたが、今回は少し離れたゲストハウスである。朝は3種類ほどの鳥の不思議な鳴き声で目がさめる。

宿舎があるマンダラと研究所の間はシャトルバスで移動している。20分ほどの移動時間にインドのカオスが体験できる。バスはとても古くて10年は確実に経過していて、座席のクッションはなくドアの開閉は乗り降りする人が手動で行う。ところどころ舗装していない所を通る時の振動は日本では体験できない。それにかなりのスピードで飛ばす。車同士、バイク、人とすれ違う時はほとんどスペースがない。


通りには人が溢れていて、小さな店が並び、野菜や果物、花を売る屋台も並んでいる。工事が行われている場所も多い。手提げ鞄を頭の上に乗せてすいすいと歩く女性もいる。立派なスクールバスに加えて、トラクターの荷台あるいはトラックの荷台に子供たちが詰め込まれて走っているのを見かる。子供達のスクールバスなのでしょう。公園では健康のために歩いている人がいる。

数日たって、バスの他にバギーが利用出来ることがわかった。研究所とゲストハウスの間には農業大学の広大な農園があり、外部からは入れないように管理されている。宿舎の敷地からいったん外にでて、狭いゲートから農園の敷地に入ったところに電動のバギーがやってくる。15分ほどで研究所に到着する。この移動手段がわかってからは朝にはバギーを利用するようになった。

ゲストハウスの敷地から狭い守衛門を一歩出ると、道の真ん中でノライヌさんがこのように寝ていてじゃまである。野良犬が道路の上で昼間に寝ているという行動は、他の国では見たことがない。起きているときは前から駆け寄ってきたり、後ろからしばらく付けてきたりするけど無視しています!奥に見える人は朝に大声を出して通りを歩いて野菜を売っている!早朝、ゲストハウスの部屋にいて奇声が聞こえて何だと思っていたのですが、物売りだと判明しました。お花を売っている人もいます。



住宅地を歩いて狭いゲートをくぐり農場の敷地に入って振り返る

道を歩いていて家の玄関の前にチョークで綺麗な模様が描かれていることに気がついた。パターンが家によって毎日すべて異なっている。このチョークアート 調べたところ「コーラム」 というヒンドゥー教の風習で、家庭の幸せ、「魔除け」を祈って描かれるヒンドゥー教家の女性の日課なんだそうです。代々描かれてきた模様が母から娘へと受け継がれていくそうです。



2016年4月6日水曜日

旅はいつも刺激的



ウォーキング公園の側の桜色の花の木
これまで4回のインド行きはシンガポールかバンコク経由だった。今回初めて香港経由のキャセイ航空にした。どこを経由しても行きの乗り継ぎは数時間だが、すべて深夜にインド着である。一方、帰りは乗り継ぎの時間が香港経由だと短い。シンガポールとバンコクの場合は早朝に経由地に着いて出発は深夜なのでまる1 日の待ち時間がある。

香港からのバンガロール行きの飛行機の出発が大幅に遅れて深夜0時半の到着予定が2時半になった。バンガロール空港は24時間運営なので問題ない。しかし、そんな深夜に到着するといろいろと不便があると思うだが、だれ独り文句を言う人もいなく、エアラインも特に謝ることもなかった。大多数の乗客のインド人はどのような突然の変化も受け入れてしまう度量があるのだと思う。

今回の査証は、e-tourist visaという新しい方法にした。インターネットですべてが済んで送られてくるメールをプリントアウトして持って行くだけで楽だった。ところが、e-tourist visaによる入国審査は通常とは別のカウンターだったが、係官の数が少ない上に指紋をスキャンする機械の性能が悪く審査にすごく時間がかかった。審査がようやく終わり、ターンテーブルの外に置いてあった荷物を受け取りタクシーでNCBSに着いた。しかし、宿舎がいつもと違って研究所の敷地外であることがわかり、また車で移動して、部屋に入って落ち着いたのは朝の5時。深夜でも物事が遅いながらも進む事には感心した。

宿舎には警備の人が夜中もいて、ちゃんと対応してくれた。機内でも寝れなかったが、少し寝たか寝てないかわからない感じで研究所に向い、朝ご飯を食べてからラボでmeetingまで待った。今回は論文を書くためにきた。

滞在中に3名の新しい方と話す事ができた。そのうち2人はごく最近、faculty memberになった人で、共に米国で良い仕事をしてきた。それぞれ、血球の発生と心臓の病気をショウジョウバエを使って研究しようとしている。ともにオリジナルな仕事で、ショウジョウバエでこんなことができるのかと驚くプロジェクトである。このテーマはヒトの研究に直結する。血球の研究をしていた女性は、ゲッチンゲンのマックプランク研究所でドクターをとり、UCLAのラボでポスドクをしてCell, Science論文で帰国した。インドでもこのような人でないとポストがない。


 
宿泊したゲストハウスは研究所の敷地の外だった。それだけで外の雰囲気を感じることができる。すぐ近くに公園を見つけてウォーキングしてきた。早朝から近所の たくさんの人が公園の中の周囲の道を歩いている。歩くための公園のようだ。椅子もあって井戸端会議をしている集団、黙想をして座っている人もいた。1周してきて気分爽快。次の朝もウォーキングした。市の担当者とおぼしき人が体重脂肪計を持ってきて、何人かの人が 測定し持っているカードに書き入れていた。健康増進みたいなプログラムがあるのではないか。家庭にはまだ体重脂肪計が普及していないのだろう。隣の運動場では、若者がクリケットとバレーをしていた。現地の人の生活を垣間見ることができおもしろかった。






この研究所はObaid Siddiqiが創設者である。没後年を記念した集会がちょうど金曜日にあった。集まっている人の多さから、彼がいかに慕われているかがわかった。会を終えて建物の前の芝生で、high teaが持たれていた。





 
連日、最高気温は36℃ほどだったが、研究所のピロティの椅子に座っていても心地よく、不思議な鳥の鳴き声がよい感じ。外での朝食も清々しい。ここは伊都と違って、建物と自然が調和的に共存している。



最後の日の夜は、街中に出てビール醸造しているビアバーで7種類のビールを飲んだ。若い人が多かったが、親がIT関係など裕福な家庭の子たちだという解説に貧富の格差を思った。値段は日本の半額以下だった。

帰国便は深夜1時30分だったので夜の10時にタクシーで空港に向かった。ところが、またもや飛行機が遅れ、出発したのは3時であった。乗り継ぎが良いので選んだCathyだったが、行きも帰りも遅延に会ったのは不運だった。

2015年3月10日火曜日

インド再び





3回目のインド行きは随分前から決まっていたが査証を得たのは出発直前だった。インド内務省からの書類がなかなか届かなかったからである。初回はシンガポール航空、前回はタイ航空だったが、今回はシンガポール航空を選んだ。福岡からインドに飛ぶ場合はどうしても乗り継ぎ時間が長くなる。シンガポールのチャンギ空港は広くてにネットが快適に使える。シンガポールに着きバンガロール行の搭乗まで4時間の仕事。その後、4時間半のフライトで夜10時にバンガロールに到着。入国審査は会議ビザがあるにも拘わらず、いろんな質問に答える必要があった。審査官が無駄口たたいているに違いなかった。私に威厳さが欠如していたかもしれないが。ようやく通してもらい入国する時も手荷物チェックがある。


ターンテーブルからスーツケースを 回収して夜の空港の建物を出ると壮観だった。50人を越える人々が横一列になって名前を書いた紙を掲げてこちらを見つめているのだ。真ん中から 右の方へ歩いて行くと私の名前が書かれた紙を見つけることができてほっとした。偽の名札を持っていてどこかに連れて行かれるという話を聞いていたので、ポスドクの方が迎えに来てくれていて安心した。ちなみにインドの空港のビルには飛行機に乗る人しか入れないので待ち合わせは外になる。


研究所に着いてゲストハウスに部屋に入って驚いた。昨年の春に来た時は、すべてが古くてみすぼらしい部屋だったので覚悟していたが、内部を改装して立派なホテルのようになっていた。お陰で快適な生活を送ることができた。









牛も人間も区別なく歩いて食べている


翌朝、鳥の鳴き声で目覚めると土の香りがした。昼間は適温で夜は少し涼しくなり、カラッとしていて過ごしやすい毎日だった。日本の冬からの急激な温度変化にも体は適応できていた。







謎の甘い飲み物


いつもの食堂での朝食の後、ラボで共同研究の打ち合わせを行った。夕食は外のホテルのレストランに連れていってもらった。翌日の土曜と日曜は、月曜日の講演public lectureの準備をしていた。土曜の夕方に車で移動してstreet foodが食べられる古い屋台が建ち並んだ場所に連れて行ってもらい、いろいろな味を楽しんだ。不思議なものばかりで辛くなく何を食べても美味しかった。


研究所の食堂が閉まるのは日曜日の夕方だけだが、不思議なのは研究所や食堂に土曜日も平日と同じように人がいて、日曜日の朝もそれほど変わらないことである。夕方はレセプションがあった。


月曜日に学校が始まり夕方の講演をこなした。この「化学生態学の学校」には、インド各地から20数人の院生達が参加している。2週間の参加費はすべて無料だという。 午前中は講義、午後は実習で夕方に講演というスケジュールが2週間。化学生態学といっても、昆虫から植物、微生物と広い領域にまたがっている。私の講演には途中で多くの質問を受けたが、インド英語のヒアリングが問題だった。インドの言語は多数あるが、英語のなまり方も多様に違う。






今回の滞在でいちばん楽しかったのはドイツからインターンシップでNCBSに数か月滞在していた院生にミツバチの学習実験を見学させてもらったことである。野外にあるミツバチ小屋に巣箱があって、そこから飛んできたミツバチにY迷路の選択学習実験をしてもらう。Y迷路の選択点に入ると奥に黒い円形が見える、その黒の大きさと糖を学習させることで、ミツバチが黒の円の大きさの差をどこまで識別できるかを実験するのである。ミツバチは個体識別をカラーコードでして いる。左右にパターンや糖と水を入れ替える単調な実験であるが、彼はその合間に、ミツバチがいかに賢いかを語ってくれた。実験を実に楽しそうに やっていたのが印象的だった。朝食を食べると直ぐにここに来て、毎日同じ事を繰り返している。



ミツバチは慣れてくると人間も識別してわかっている。選択ができないときは、 毎回兎に角、どちらかに方向を決めて行くという判断をしているとか。ついでに、ショウジョウバエの研究者の発表は遺伝的手法を駆使した話ばかり聞いてきたが、わたしのトークは行動に集中していてとても楽しかったと感想を述べてくれた。私は講演の冒頭で、多くの研究者は単にモデル生物としてショウジョウバエを用いているが、私はショウジョウバエを昆虫の1種として研究をしていると自己紹介した。


もうひとりの院生のカーテンを作るミツバチの研究もおもしろかった。東南アジアのミツバチの中にはopen nestといってミツバチ自身が群がってカーテンを形成する種がいる。このミツバチたちが協調的な動きをする。外敵がくるとshimmeringといってウェーブをして振動音を発生させる。水がかかると腹部の角度の変化させる行動をする。数種類の協調的な行動パターンがあり、どのような個体間の伝達によって協調的な行動ができるのかがおもしろい。カーテンを形成している各個体は時々、交替をしている。さらに全員が上空に飛び上がる行動も観察できることがあるという。


彼らは研究所の外の学生寮に滞在して連絡バスで通っているが、夜にわけのわからないインドの音楽が鳴り続けていて安眠妨害だと言っていた。ただ、ドイツに 戻った時には、そのような悲劇的な出来事はなかったことにして話さないと言っていたのが印象だった。心優しい若者だ。






最後の日の木曜日は夕方の講演を聞いてから夕食後に空港へ向かった。夜11時にバンガロールを出て4時間半の飛行時間で朝6時にシンガポールに着いて、空港に丸一日いた。仮眠をとり仕事をして、食事をして仕事をして過ごした。空港内にはこの写真のようなきれいなコーナーがあり、蝶の庭とか楽しめるスペースもたくさんある。シンガポール料理の屋台コーナーで食事。空港で1日を過ごしたのは初体験だった。




深夜の1時に発って4時間半の飛行時間で朝8時20分に福岡空港に到着。2日連続で深夜の4時間ほどのフライトでほとんど眠れないというのは、連続徹夜に近い。帰宅してシャワーを浴びてから、修論発表の練習のためにラボに向かった。


私がこれまで見たインドは限らた場所である。研究所は柵で囲まれガードマンの警備で守られて いる特殊な場所である。研究者も院生もほとんどがアッパークラスのカースト属していると思われる。市内に出るとカオスの領域ではあるがそこでも滞在時間も 限られている。また、バンガロールはインドの中でも危険が少ない都市である。インドを知るためにもっと自由に旅をしてみたい。


2014年5月6日火曜日

Bangaloreでの日々 : National Centre for Biological Sciences



octopus treeの花から蜜を集めるインドのミツバチたち

インドにドイツ人のミツバチの研究者がいるのは珍しいことに違いない。が、Obaidが積極的にNCBSのポジションに彼をリクルートしてくれた話を聞いてうれしく思った。私のインドとのつながりは、Veronica RodriguesとObaid Siddiqiとの出会いがきっかけであったが、二人はもうこの世にはいない。「もっと早く来るべきだった」と言われた。ミツバチの研究者とショウジョウバエの共同研究を行うためにNCBSに1週間ほど滞在した。

昨年、初めてインドに行った時にもう一度行ってみたいと書いたが、こんなに早く実現するとは思わなかった。行ったことがない国について、私たちが持っている イメージはいつも一面的である。前回はシンポジウム参加で数日の滞在だったが、今回は1週間、研究所に滞在し、夕食は外へ食べに行き、学生や研究者と話す機会があり、インドのいろんな側面を知ることができた。そこで新たにわかったのはインドの多様性である。使われている言語が22種類ほどもあって宗教も多様である(紙幣には15の言語が書かれている)。その中で人々が生活している姿は逞しく感じられた。

インドには「内と外」の世界がある。内とは外部とは遮断されて許可された者だけが入れる場所である。研究所、外人向けホテルとレストランなどである。インドに来て内の世界だけに居ることもでき、実際そうしている人もいるという。


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2日前にソウルから戻ったばかりの福岡空港からバンコクへ旅立った。初めてのタイ航空で乗務員に両手を合わせられ機内はタイの雰囲気だ。バンコクの空港で数時間を過ごして夜9時 過ぎのバンガロー行きに乗り継ぐ。到着して入国審査を終え、荷物を受け取って出口を出た時には零時を過ぎていた。しかし、出口を出た建物の中には出迎えの人もいなく、おかしいことに気がつく。空港の建物には搭乗する人だけしか入れないのだった。建物を出た所に出迎えに来てくれたBがいた。研究所のタクシーで高速に乗って30分ほどで深夜1時過ぎにゲストハウスに到着した。部屋は熱気でムッとしていてエアコンも効かなかった。


翌朝、外に出ると色々な動植物が出迎えてくれた。芝生には小型のサギが歩いていて、リスもいる。一本の木にたくさんの蝶が乱舞している。8時半に待ち合わせて食堂で朝食を食べた。ここの食堂は土日も食べることができるという。1日の食費は250円ほどである。研究所の敷地は完全に外部から遮断されており、ゲートの管理と警備が厳重になされている。敷地内に職員、学生のための宿泊施設があるが、外で暮らしている人も多い。研究所所属のタクシーが何台かあり、予約をして使うことができる。外に住む研究員の毎日の通勤にも使われている。外に夕食を食べに出かける時にも使い、遠い場所の場合は車が待機してくれている。外には、やはり隔離されていてゲートがありクラブのようになっている所も多い。植民地時代からの形式だろう。実際、そのように閉ざされた場所のレストランでは、ウエイターがビールを注いでくれて、料理を取り分けてくれる。ビールを注ぐ前にラベルを見せてくれ これでよいかと聞かれるのにはびっくりした。ただし、そのような場所での食事の料金はべらぼうに高い(日本での価格よりは安いが)。私は庶民的な場所での食事の方が好きである。


インドの学問は物理が中心であるが、生物を重視する政策でこのNCBS (National Centre for Biological Sciences)が設立された。NCBSの院生になるには、試験を受けて上位数%ほどにあたる100人に入れないといけない。次に2回の面接を受けて、毎年27人が入学できる。院生には5年間給料が支払われる。5年で終了しなくても半年ごとの更新で給料が出る。韓国のKAISTは大学の1年からそのようなやり方だった。メンバーの出身地を訊いてみたら、インドの各地から集まっていた。12億の人口の国だから27名というのはとても厳しい選抜である。





コブラがたまに出る芝生から見たNCBSの全景


NCBSにはショウジョウバエを研究しているグループは複数あるが、共通のショウジョウバエの施設があり、12人以上のテクニシャンが働いている。トランスジェニック系統の作製、12,000系統の維持、ストックセンターへの系統のリクエスト、受け取った系統の検疫、培地の作製まですべてをサポートしてくれる。

市場では、いろんなものを食べ、飲みました。フレッシュなフルーツジュースは濃厚で美味しかったです。道ばたでおじさんがプレスして絞ってくれるサトウキビジュースも飲みました!清潔からはほど遠い状態でしたが、、、大丈夫でした。インドの衛生状態に慣れてくると、日本が異常に清潔すぎるとも思ってしまいます。日本も50年ほど前は、今のインドと同じような状態ではなかったのか。






NCBSの庭のジャックフルーツ





市場で食べた!





庶民的なベジタリアン料理が美味しかった


町中では道の横断が命がけだ。車は人が歩いているところにもクラクションを鳴らして進んでゆきます。歩行者優先などという考えはまったくありません。大きな 交差点には信号がありますが、無いところも多いです。現地の人は、私たちがとても横断できないようなところですら、一瞬の隙をみつけて横断します。とにかく高度な一瞬の判断をしながら歩く必要があるのです。車とバイクと人が境界無く混在しながら移動しているという感じでした。


毎日、共同研究について議論して、多くの研究者や大学院生と語り合い、毎食インド料理を食べたエキサイティングな日々であった。まだここに戻ってくるだろう。