2014年5月31日土曜日

市民に開かれた大学と研究所

2000 年の秋にパリでフランス人とモールへ行ったとき、カフェで一人の人が立って話をしていて何人かが聴き入っていた。彼に尋ねると、数学者が「数学はいかに社会の役に立つか」というテーマで話していて市民と議論をしているという。横断幕があって、この期間はフランス全土で科学者が市民と対話するサイエンス・カフェ行事が行われるという。
その頃、日本では大学での研究を一般市民に直接的に伝えようという動きはまだあまりなかったので、とても新鮮に感じた。

2006年にケンブリッジに行ったときには土曜日に子供たちが大学に集まり、いろんなゲームをしながら生物を学ぶという行事が行われていた。DNAの模型作りや、ほおからのDNAの抽出など、分子生物学に関するイベントだった。

日本でのサイエンスカフェは2005年頃に始まったと言われている。私も九大が開催した脳カフェに参加したことがある。また、ゲノム広場という集まりもエルガーラで数年開催されていた。しかしどちらも継続されていない。

ドイツで行われているLong Night of the Sciencesは、2000年にベルリンで開催されたScience Summerの成功により始まったもので、毎年違う都市でも行われている。日本では研究所の一般公開が毎年行われるようになってきたが、一般市民にとって科学がもっと身近になるような努力が必要だと思う。

地震予知、原発、放射能の安全性、論文の捏造などの諸問題によって、科学に対する信頼が揺らいでいる今日、まずは現場と科学者と市民との継続的な対話ができる場をつくることが求められている。

2014年5月6日火曜日

Bangaloreでの日々 : National Centre for Biological Sciences



octopus treeの花から蜜を集めるインドのミツバチたち

インドにドイツ人のミツバチの研究者がいるのは珍しいことに違いない。が、Obaidが積極的にNCBSのポジションに彼をリクルートしてくれた話を聞いてうれしく思った。私のインドとのつながりは、Veronica RodriguesとObaid Siddiqiとの出会いがきっかけであったが、二人はもうこの世にはいない。「もっと早く来るべきだった」と言われた。ミツバチの研究者とショウジョウバエの共同研究を行うためにNCBSに1週間ほど滞在した。

昨年、初めてインドに行った時にもう一度行ってみたいと書いたが、こんなに早く実現するとは思わなかった。行ったことがない国について、私たちが持っている イメージはいつも一面的である。前回はシンポジウム参加で数日の滞在だったが、今回は1週間、研究所に滞在し、夕食は外へ食べに行き、学生や研究者と話す機会があり、インドのいろんな側面を知ることができた。そこで新たにわかったのはインドの多様性である。使われている言語が22種類ほどもあって宗教も多様である(紙幣には15の言語が書かれている)。その中で人々が生活している姿は逞しく感じられた。

インドには「内と外」の世界がある。内とは外部とは遮断されて許可された者だけが入れる場所である。研究所、外人向けホテルとレストランなどである。インドに来て内の世界だけに居ることもでき、実際そうしている人もいるという。


* * * * *

2日前にソウルから戻ったばかりの福岡空港からバンコクへ旅立った。初めてのタイ航空で乗務員に両手を合わせられ機内はタイの雰囲気だ。バンコクの空港で数時間を過ごして夜9時 過ぎのバンガロー行きに乗り継ぐ。到着して入国審査を終え、荷物を受け取って出口を出た時には零時を過ぎていた。しかし、出口を出た建物の中には出迎えの人もいなく、おかしいことに気がつく。空港の建物には搭乗する人だけしか入れないのだった。建物を出た所に出迎えに来てくれたBがいた。研究所のタクシーで高速に乗って30分ほどで深夜1時過ぎにゲストハウスに到着した。部屋は熱気でムッとしていてエアコンも効かなかった。


翌朝、外に出ると色々な動植物が出迎えてくれた。芝生には小型のサギが歩いていて、リスもいる。一本の木にたくさんの蝶が乱舞している。8時半に待ち合わせて食堂で朝食を食べた。ここの食堂は土日も食べることができるという。1日の食費は250円ほどである。研究所の敷地は完全に外部から遮断されており、ゲートの管理と警備が厳重になされている。敷地内に職員、学生のための宿泊施設があるが、外で暮らしている人も多い。研究所所属のタクシーが何台かあり、予約をして使うことができる。外に住む研究員の毎日の通勤にも使われている。外に夕食を食べに出かける時にも使い、遠い場所の場合は車が待機してくれている。外には、やはり隔離されていてゲートがありクラブのようになっている所も多い。植民地時代からの形式だろう。実際、そのように閉ざされた場所のレストランでは、ウエイターがビールを注いでくれて、料理を取り分けてくれる。ビールを注ぐ前にラベルを見せてくれ これでよいかと聞かれるのにはびっくりした。ただし、そのような場所での食事の料金はべらぼうに高い(日本での価格よりは安いが)。私は庶民的な場所での食事の方が好きである。


インドの学問は物理が中心であるが、生物を重視する政策でこのNCBS (National Centre for Biological Sciences)が設立された。NCBSの院生になるには、試験を受けて上位数%ほどにあたる100人に入れないといけない。次に2回の面接を受けて、毎年27人が入学できる。院生には5年間給料が支払われる。5年で終了しなくても半年ごとの更新で給料が出る。韓国のKAISTは大学の1年からそのようなやり方だった。メンバーの出身地を訊いてみたら、インドの各地から集まっていた。12億の人口の国だから27名というのはとても厳しい選抜である。





コブラがたまに出る芝生から見たNCBSの全景


NCBSにはショウジョウバエを研究しているグループは複数あるが、共通のショウジョウバエの施設があり、12人以上のテクニシャンが働いている。トランスジェニック系統の作製、12,000系統の維持、ストックセンターへの系統のリクエスト、受け取った系統の検疫、培地の作製まですべてをサポートしてくれる。

市場では、いろんなものを食べ、飲みました。フレッシュなフルーツジュースは濃厚で美味しかったです。道ばたでおじさんがプレスして絞ってくれるサトウキビジュースも飲みました!清潔からはほど遠い状態でしたが、、、大丈夫でした。インドの衛生状態に慣れてくると、日本が異常に清潔すぎるとも思ってしまいます。日本も50年ほど前は、今のインドと同じような状態ではなかったのか。






NCBSの庭のジャックフルーツ





市場で食べた!





庶民的なベジタリアン料理が美味しかった


町中では道の横断が命がけだ。車は人が歩いているところにもクラクションを鳴らして進んでゆきます。歩行者優先などという考えはまったくありません。大きな 交差点には信号がありますが、無いところも多いです。現地の人は、私たちがとても横断できないようなところですら、一瞬の隙をみつけて横断します。とにかく高度な一瞬の判断をしながら歩く必要があるのです。車とバイクと人が境界無く混在しながら移動しているという感じでした。


毎日、共同研究について議論して、多くの研究者や大学院生と語り合い、毎食インド料理を食べたエキサイティングな日々であった。まだここに戻ってくるだろう。