2018年3月14日水曜日

自由書房と星の王子さま

私が高校生だった頃の息抜きのひとつは定期試験が終わった日の帰りに書店の自由書房に行くことだった。帰りといっても自由書房は通学路の途中にはなくて、遠く柳ヶ瀬にあって自転車で行っていた。今なら自転車で行こうとは思わない距離である。いろんな本を見るのが楽しみだった。入口を入ると上が四角に切り取られて吹き抜けになっている。切り取られた残りの部分には数メートルの2階部分があって本棚が並んでおり片側はレコードのコーナーになっている。高校2年の頃、発売されたばかりのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandを売り場でかけてもらった。高校生の内気な私が店のお姉さんにそんなリクエストをすることができたのは信じられないが、今でもジャズ喫茶で軽くリクエストできるのはその時の経験があるからかもしれない。ある時、レコード売り場の反対側のピロティの本棚で本を見ていた時に、男女がやってきて、女性が「あ、これ、星の王子さまを書いた人のだ!」といって「夜間飛行」の本を指差した。男性はまったく興味がないようだった。私は心の中で「そうですよ」と言った。あれから50年が経って、柳ヶ瀬のバス停の前に立った時、自由書房があった場所が更地になっていた。でも、その時の情景と、そこで過ごした自由な時間は鮮明に記憶している。サン=テグジュペリの「星の王子さま」は高校生の私とって希望であり救いだった。 
 

 

2018年3月10日土曜日

インドでの新しい発見


1. インド北東部

今回、研究所に来ている3名の女子の院生と知り合いになりました。ヒマラヤ山脈の近くのインドの北東部出身の方です。インド北東部には200の言語の持つ少数民族の人々が住んでいます。日本は同調性が求められ、生まれながら茶色の髪の生徒は黒く染めることが強要される社会です。一方、インドはそれぞれが異なりながらもひとつの国を作っています。これまで私がインド北東部で知っていたのは日本軍が侵攻したマニプールだけでした。北東部の地形についても知らなかった。マニプル州イーターナガルは、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州の州都で紅茶で有名なアッサムもある。

北東部の研究教育環境の整備が遅れているのでNCBSの研究者が現地の大学との協力関係を築きたいというプロジェクトの予算申請を行い認められた。しかし、その研究者が急死したために私の共同研究者がその事業を担当することになり、3名の院生を受け入れているという。研究所の他の人はこんなことをやっていることを知らないと彼は話していましたが、私が大学で高校生を受け入れて実験していたときと同じだと思い起こしました。皆、日本と韓国に近親感を持っていてとても優しく、ちょうど市内で開催されていた日本バザールに一緒に行きました。

2. インドと日本

昼食時に会って話をしたインド人から三十三間堂や東大寺に仏教のインド伝来の痕跡を自ら見つけた話や、芭蕉の俳句を教えてもらった。英国のケンブリッジ大学の研究所とNCBSを掛け持ちしているインド人。子供の頃は貧しい家に住んでいたそうです。そこで貧富の差についての話がほとんどでした。アメリカのことを話していて、自分たちは難民としてやってきたのになんで今は難民を拒否するのか?昔のことを忘れているとも話していました。

日本にも毎年行っていてインドの仏教が日本にどのように伝わったかを実際にお寺に行って見ているそうです。三十三間堂や東大寺にはインドの言葉が残っているそうです。後で調べてみると、奈良の大仏の建立の事業を指揮したのはインドから僧侶だったことを知った。日本の仏教は中国から伝来が多いがインドから直接来ているものがあるということですね。また彼は俳句を英語で読んでいて奥の細道を回りたいと言っていた。まさかインド人から芭蕉の句を教えてもらうとは。彼がすばらしいと言っていた句は以下のもので解説をしてもらいました。

     手に取らば 消えん涙ぞ熱き秋の霜



3. インドでの発見



インドのトイレの便器の横には蛇腹の先に小さなシャワー口がついたものが置いてあるのに気がついていましたがその用途を考えたことはなかった。RCBの研究所のトイレに行ってみるとトイレットぺーパーが置いてないのです。困ったなと思っていて気がつきました。それが手動式のウオッシュレットだということを。使ってみると冷たい水が生きよく良く出て気持ち良かったです。問題は残った水分をどのように除去するかですが、事前に考えていて部屋にあったトイレットペーパーの切れ端を持っていたので大丈夫でした。バンガロールの宿舎のトイレはトイレットペーパーがいつも置いてあったので気がつかなったのです。それにバンガロールの新しい研究棟のトイレは近代的なものでした。高級ホテルなどのトイレには手動式のウオッシュレットはありません。ところが、帰りにニューデリー空港のトイレを見たら手動式シャワーがありました。

もうひとつの発見はインドのワインが美味しいことです!





2018年3月6日火曜日

デリーへ


昼間にバンガロール空港へ移動するのは初めてだった。バンガロール空港での発着はこれまですべて深夜だったから。空港に近づくと道路の両側にはGarden Cityの名にふさわしく綺麗な花々と樹木が延々と植えられていた。空港は近代的で広く、市内の混乱ぶりからは想像できないほど整備されている。Air Indiaのチェックインは難なく終わり、1階の左奥のエレベータを上がって国内線の荷物検査を受ける。男女に分かれていてまず荷物をベルトコンベアにおいてから並ぶ、X線の検査は両手を広げて台の上に立って綿密に行われる。終わってから検査のおじさんに搭乗口を再確認されたのは国際線と間違えていないかと思ったのだと思う。

 

インドの国内線は初体験でニューデリーに飛んだ。Air Indiaはインドのメジャーなキャリアだが3時間半のフライトで運賃は5千円ほどである。デリーの気温は23/8°Cとバンガロールより涼しくなる。訪問先はデリーの郊外のFaridabadで、Regional Centre for Biotechnology (RCB)という研究所があり、その研究所でラボを立ち上げた研究者P.I.のmentorになったので訪問して1週間滞在する。まずは学生向けのセミナーを頼まれたので準備をしている。


今回の旅でニューデリー空港と香港空港がsilent airportだった。つまり搭乗の場内アナウンスがないのです。搭乗口に背を向けていると搭乗が始まったのがわからなかったことがある。silent airportは海外で多くなっているようだ。日本はバスでも電車でもアナウンスが過剰です。silent airportにいるといかに静寂がすばらしいものかを実感することができた。

空から見るインドの大地は意外にも緑が多かった。到着後、しばらくして第二陣で荷物が出てきた。ピックアップして外にネームタグを持ったタクシードライバーがいるはずが見つからない。しばらくして、出迎えの人に尋ねたらさらに出た外にも待っている人がいるという。慌てて行ってみるといて安心。宿舎までの高速道路でもやはりインドの雰囲気だった。到着した宿舎は意外と古い。管理人のおじさんは英語がそれほどでもないがとても親切でいい人だった。食事の時間に食堂に下りて行く時におじさんが急いで付いてきてくれて食事の案内をしてくれる。そして食事中も執事のようにいてくれたお代わりも持ってきてくれて食べ終わったら片付けてくれる。最初の頃は悪いので食べきっていましたが、最近はおかわりを断っている。ここは3度の食事がでるようだ。ベランダの窓は開けないように言われた。お猿さんが入ってくるそうだ。外も散歩するときは蛇がいるので注意するように言われた。蛇がいるのは、蛇と共に生きるというポスターが掲示されていたバンガロールも同じだった。インドでは、牛や犬や猿だけでなく、蛇やアリであっても共に生きるとのがポリシーである。 


宿舎の部屋のベランダの朝 一家の来訪


翌朝、ラボの二人が迎えに来てくれた。宿舎は研究所の敷地内にあるがラボがある建物までは10分ほどである。研究所の周囲には何もない。ここはジャングルの中に建てられた研究所だと言われた。だから、猿や蛇がいっぱいいるという。ジャングルといってもインドのジャングルのことだろう。

月曜日から木曜日はセミナー、研究の議論をして実験のデモもした。一人の研究者が日本に来て実験を行うことも決まった。南インドの新興都市であるバンガロールと北インドの歴史ある都市デリーは別の国といっていいほど異なるのではないかと感じた。私がそれぞれの土地で接しているのは研究所と宿舎という限られた範囲ですが、人も食物も自然環境もかなり違っているのではないかと。デリーはヒンディー語の土地なので割と皆がヒンディー語をしゃべります。だから英語が得意でない人がいます。バンガロールは違う言葉を使う人が集まっているので英語がメインになっている。RCBでは学生を含めて多くの人がとても親切で案内してくれたり、声をかけてくれたりする。ほとんどの人がベジタリアンで食事もNCBSと比べると質素である。NCBSはインド国外出身の研究者も目がついて国際的であるがRCBではまだ外国人を見なかった。

金曜日のお昼にSurajkund International Crafts Melaという国際工芸バザーにラボに皆で出かけた。木工品とか家具、衣類の店がたくさんありました。土日はすごい人になるそうです。こういうところで買い物する時は外国人は当然ふっかけられるので現地の人に値引き交渉をしてもらうのがいいです。今日も300ルピーが最後は200ルピーになりました。値札もレシートもありません。一人では絶対に来ることができない場所だった。食べ物だけでなく植物も風景も人間も多様で日本と違っていて楽しめる。インドで独特だなあと思うのは色使いだ。特に女性のサリーに使われている色は独特で、赤も日本の赤と違います。日本では絶対に使わない色調とその組み合わせがあります。食堂のテーブルの鮮やかなブルーもそうですがお札にも青色が使われている。






土曜日はデリーに買い物に連れていってもらった。どこに行きたいかと問われてガンディー博物館と答えていた。ガンディーについての本を若い頃に読んでその思想に共鳴していた。古くて内装がしっかりした建物にはガンディーの生涯を辿った写真が解説とともに並べられてその歩みを再確認することができました。彼が使っていた品々と糸車も展示されています。非暴力と愛の思想は今の時代においてこそ聴かれるべきとの思いを強くした。


帰国する日曜日は夕方まで宿舎でゆっくりしていた。お昼過ぎにP.I.の一家が持ち帰るハエと一緒にプレゼントの本を持ってきてくれた。その前に二人のメンバーがお別れの挨拶のために部屋に来てくれた。昼食後には荷物を詰めてゆっくりしていた。6時に車をお願いしていたが5時半には来て空港に向かった。予想外に渋滞はなくて40分ほどで空港に到着した。3時間早い香港行きに変更を頼んだが追加料金がかかるかもと言われて予約通りの便にした。4時間ほどの時間を搭乗エリアで過ごした。デリー空港は巨大で、インドかぶれした服装の西洋人がたまに歩いていておもしろかった。深夜の2時にデリーを発ち朝の香港に着いて乗り継ぎも問題なく、午後の3時に雪の福岡に帰国。RCBにはこれから毎年行くことになる。