2011年10月18日火曜日

エルミタージュにて

帰国前日の日曜日にペテルスブルグ市内に移動した。市内のホテルのフロントの人は英語が喋れて親切だった。ただ泊まったエコノミーホテルは一般住居建物のフロアを宿泊施設にしたところだったのでたどり着くまでが大変だった。住所は合っているのにホテルがない。しばらく彷徨って、裏通りから中庭に入ると入口らしき所を見つけた。呼び鈴を押してドアのロックを数秒間解除してもらっている間に中に入るというシステムが最初わからなかった。

                   ホテルの入り口

荷物を置いて近くのエルミタージュ美術館に出かけた。正門のすぐにある自動発券機で入場券を購入すると並ばないで入ることができる。エルミタージュ美術館はルーブル美術館の10倍以上の所蔵作品を有する世界一大きな美術館である。建物も絢爛豪華で、できれば2日かけてゆっくり見るのが良い。この美術館の展示の仕方はまったく無防備である。ダビンチの絵画を除いてほとんどの絵を間近に見ることができる。窓を開けていたりで太陽光に対しても気を遣っていない。

人は何のために絵画を見るのだろうか。ぼくは絵と出会って対話したいと思う。何らかのメーセージを聴きたいと思う。エルミタージュ美術館のある絵の前でぼくは長い時間立ち続けていた。レンブラントの大作である。もう一度ロシアに来る機会があるかわからないのでじっくりとこの絵を見たいと思った。

ガイドに案内された団体が入れ替わりでやってきていろんな言葉で解説を聞いて、多くの人が絵をデジカメに収めて通りすぎて行く。中国人は絵をバックに写真を撮るのが好きだ。ロシア人のガイドがきれいな日本語や中国語を話していた。

日本語と英語のガイドさんの話を聞いていると、この絵についてぼくが知らなかったことも話していて勉強になった。「この絵を観るためにエルミタージュに来る人もいます」という解説に頷いた。それはぼくだ!

             ロシア人ガイドの説明を聞く中国の団体一行


有名な絵をこのように観光として観て何になるかと思う。たぶん見たということが重要なのであろう。ぼくは一枚の絵の前にひとり立っていたいのに団体の流れは途切れないのだ。なぜ人は絵を観るのかという問いは、なぜ人は絵を描くのかという問題の裏返しではないだろうか。

そしてこの問いはさらに音楽や映画にもつながってゆくのだろう。言葉で書くのではなく、絵で、音楽でこころを表現するのではないだろうか。ぼくが一枚の絵の前に立ち続けるのは、ぼくが気に入った音楽を何回も聞き続けるのと似ているかもしれない。