2019年7月13日土曜日

リスボンで気がついたこと

ポルトガルでは包装のアートを大事にします。魚の缶詰には各社が競って様々なアートをプリントしています。その缶詰の専門店があるのですが、壁一面に缶詰が並んでいる様はまるで書店のようで荘厳です。缶詰の蓋は開けたら捨てるのですが、こだわりの伝統があるようです。


ドイツのお店で買い物をしてレジで袋を頼むと料金を取られます。しかし、ポルトガルでは無料で綺麗な紙袋に入れてくれます。ハーブソルトをいくつか買った時に、頼んだら小分け用の紙袋をつけてくれました。日本と同じです。 

ポルトガルの物価は安いです。空港からアパートまで高速道路を通ってタクシーで15分ほどですが1300円でした。バスやトラムの料金は距離に関係なく150円ほどでかなり遠くまで行けます。加工品、嗜好品の消費税は高いのですがそれでも他国と比べると安いです。



消費税は品によって6, 13, 23%と違います。例えばビールは23%ですが税を加えても缶ビールが115円ほどと日本より安い。6%なのは野菜、果物などだが、パンが23%というのは意外だった。原材料の食品の税金は安くて加工品と贅沢品は高い感じです。ただ、ワインとチーズは13%です。ちなみにワインは、2ユーロ台のものでもとても美味しいです。お米の値段は日本が海外より高いですが、ポルトガルでは1キロで高くても150円ほどだそうです。5キロで千円しないのでとても安いです!
 


ヨーローッパの他の国の定年退職者が老後をポルトガルで過ごすためにやってくる理由が良くわかります。わたしが研究所で机を借りている部屋にはカルフォルニアから来た、奥さんポルトガルの人がいるのですが、サンフランシスコの物価がどんどん高くなって庶民が住んで生活するのはたいへんと言っています。 

ポルトガルの気候は、夏は30度を超えることがなく、冬は最低温度が10度を大きく下がることがないので、日本よりも、ドイツやフランスよりも年間を通じて快適に過ごせます。

リスボンではほとんどどこでも英語が通じます。一度だけ英語が通じないことがありました。アパートから少し歩いた所にある小さなミニスーパーに入るとおばさんがにっこりして出迎えてくれました。小さな店内を見回して白い冷蔵庫を見ると、おばさんはポルトガル語で「ビールかな?」といって中を開けて3種類の大きさの瓶を見せてくれました。大瓶は大きすぎて小瓶は小さすぎるので中瓶を2本お願いした。レジのシートの料金の数字にペンで印をつけてくれて、300円ほどを支払いました。この間の数分だったけど、おばさんの微笑みとやさしさに癒された。ポルトガルでは人々に笑顔があって陽気で優しいです。

残されていた書物

インドにいるドイツ人の友人に「今、リスボンにいる」ってメールしたら「ぼくはリスボン行ったことがないけど、ポルトガルにはFernando Pessoa (1888-1935)という有名な作家がいるね」と昨年教えてもらった。

このポルトガルの作家を知らなかったので調べてみると、ペソアはポルトガルの国民的詩人・作家だった。興味深いのは、彼が生きていた時はほとんど無名で、死後にトランクいっぱいの遺稿が見つかってから本が次々に出て有名になったということだ。和訳されている本もある。その一冊の「ペソアと歩くリスボン」はそのままガイドブックになるそうだ。つまりリスボンの街並みは100年間変わっていない。

9月からまたリスボンに滞在するが街が違って見えるかもしれない。

先月、図書館のポルトガル関連の本が並んでいた隣のイタリアの棚で、須賀敦子さんが翻訳したタブッキ「供述によるとペレイラは」を見つけて読んだ。ナチスが台頭してきた頃のリスボンでの話でとても面白かった。さらに、タブッキ「インド夜想曲」にはペソアの詩が出てくる。このように本の世界が広がってゆくのが楽しいです。

「死後にトランクいっぱいの遺稿」が見つかったという話に惹かれる。カフカは書いた小説をすべて燃やすように友人に頼んだけど、友人が約束を守らなかったので、僕たちは今、読むことができる。

この話の流れで思い出した本がある。『エレーヌ・ベールの日記』(飛幡祐規訳、2009年、岩波書店)である。パリに住んでいたユダヤ人のエレーヌはソルボンヌで修士論文を書いていたが、両親と共にドイツの収容所に送られた。彼女はイギリス軍によって収容所が解放される5日前に看守に殺された。エレーヌがパリで日記を書いたのは1942年から1944年で、逮捕される前に他人に託されていた。そして、日記が出版されることに決まったのは2008年である。
 

ペソアもカフカもエレーヌ・ベールも私たちは彼らが書いた文章を幸運にも読むことができる。しかし、本にならないで消えてしまった文章も無数にあるにちがいない。
 
追加 2020.1.20
フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの書籍も彼女の死後に出版されたのだった。いろんな所に残されていた原稿、手紙、ノートを編集するのに尽力したのはカミユだった。若松英輔さんが書いた本を読んでいて思い出した。

2019年3月14日木曜日

バックパックを開けられて財布を盗まれそうになる

リスボンに来て2週間ほど経った。研究所に来るにはトラムを降りて鉄道の線路と車道を跨ぐ歩道橋を歩いてくる。今日の朝、歩道橋を歩いているとわずかに後ろに引っ張られるのを感じて後ろを振り返ると杖をついた若い女性と二人の人がいた。もう一度振り返って見て、歩道橋を降りてバックパックを見るとやはり大きく開いていたが盗まれたものはなかった。

私が歩道橋の階段を登り始めた時には誰も続いて登ろうとしている人はいなかったので、私が登るのを見て走ってつけてきたのだろう。歩道橋の上は車や電車の騒音が激しい。バックパックを開けて財布を盗んで戻る計画だったに違いない。杖をついていたが演技だろう。歩道橋を降りた海側はベレンの塔という観光名所だから観光客狙いだ。観光地はこのようなことが多いのでバックパックのジッパーの取っ手をクリップで留めておくことを時々していたが、早朝の通勤時は不覚だった。朝の9時から活動しているとは!バックパックの底に財布をいれるようにしているので被害はなかった。ネットを見るとリスボンで日本人がパスポートとカード入りの財布を盗まれたとかが多いです。
バックパックは常に前か横に持つようにします。


在ポルトガル日本大使館の海外安全対策情報にも以下の注意が書いてあります。
 
「不測の事態に備え,常に周囲の状況を注視してください。背後から必要以上に接近する人組等には特に注意が必要です」

2019年1月3日木曜日

ロスバゲ体験

日本から欧州着の便でロスバゲになったことが何度かある。自分のスーツケースが出てこないままベルトコンベアーが停止して初めてそのことがわかる。窓口で手続きをして、届けてもらう住所を書く。歯ブラシととTシャツが入ったセットを受け取る。
 
ところが、日本着のANA便では飛行機を降りた所に名前が張り出されていてスーツケースが一緒に載っていなかったことが告げられる。そして荷物受け取り場所に係員がいて親切に対応してくれる。今回の帰国時がそうだった。2個のうち一つのスーツケースがロスバゲでラッキィーと思った。翌日に宅急便で自宅に送ってくれるから楽なのだ。

スーツケースが次の便で届いてから、航空会社が代わりに税関手続きを行うことの承諾書と、鍵があればそれを預け、暗証番号を教えておく。税関を出ると別の係りの人が乗り継ぎカウンターまで案内してくれた。このような親切な対応をしてくれるのは日本だけだ。乗客の預けた荷物が同じ便に載っているかはコンピュータで調べればすぐにわかるはずだが、海外では事前に教えてくれることはない。

ロスバゲはいつか必ず起こるので、海外に行く時には着替え、歯ブラシなど、すぐに必要はものを手荷物に入れることにしている。一度、ロシアのペテルスブルグ着でロスバゲになった時は大量の書類を書かされた。そして、スーツケースがホテルに届いたのは到着の4日後だった。空港からホテルまでの運送がなかなか行われなかったのである。ノートパソコンと電源コードと変換プラグまで手荷物に入れておいたのでプレゼンも問題なかった。

ところでANAから電話があり、私のスーツケースは翌日の便に載ってなかったという。届くのは明日になりそうです。