2019年7月13日土曜日

残されていた書物

インドにいるドイツ人の友人に「今、リスボンにいる」ってメールしたら「ぼくはリスボン行ったことがないけど、ポルトガルにはFernando Pessoa (1888-1935)という有名な作家がいるね」と昨年教えてもらった。

このポルトガルの作家を知らなかったので調べてみると、ペソアはポルトガルの国民的詩人・作家だった。興味深いのは、彼が生きていた時はほとんど無名で、死後にトランクいっぱいの遺稿が見つかってから本が次々に出て有名になったということだ。和訳されている本もある。その一冊の「ペソアと歩くリスボン」はそのままガイドブックになるそうだ。つまりリスボンの街並みは100年間変わっていない。

9月からまたリスボンに滞在するが街が違って見えるかもしれない。

先月、図書館のポルトガル関連の本が並んでいた隣のイタリアの棚で、須賀敦子さんが翻訳したタブッキ「供述によるとペレイラは」を見つけて読んだ。ナチスが台頭してきた頃のリスボンでの話でとても面白かった。さらに、タブッキ「インド夜想曲」にはペソアの詩が出てくる。このように本の世界が広がってゆくのが楽しいです。

「死後にトランクいっぱいの遺稿」が見つかったという話に惹かれる。カフカは書いた小説をすべて燃やすように友人に頼んだけど、友人が約束を守らなかったので、僕たちは今、読むことができる。

この話の流れで思い出した本がある。『エレーヌ・ベールの日記』(飛幡祐規訳、2009年、岩波書店)である。パリに住んでいたユダヤ人のエレーヌはソルボンヌで修士論文を書いていたが、両親と共にドイツの収容所に送られた。彼女はイギリス軍によって収容所が解放される5日前に看守に殺された。エレーヌがパリで日記を書いたのは1942年から1944年で、逮捕される前に他人に託されていた。そして、日記が出版されることに決まったのは2008年である。
 

ペソアもカフカもエレーヌ・ベールも私たちは彼らが書いた文章を幸運にも読むことができる。しかし、本にならないで消えてしまった文章も無数にあるにちがいない。
 
追加 2020.1.20
フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの書籍も彼女の死後に出版されたのだった。いろんな所に残されていた原稿、手紙、ノートを編集するのに尽力したのはカミユだった。若松英輔さんが書いた本を読んでいて思い出した。

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