2011年3月25日金曜日

そのとき私はミュンヘンにいた

欧州から戻って1週間が経った。今回の2週間の出張の後半は日本のことが頭から離れない毎日だった。

3月11日午後2時46分に東北で地震がおきた。その時、私はミュンヘンの研究所の宿舎にいて朝だった。大地震とわかり家族の者に連絡を取った。石巻に親戚がいたから。しばらくすると、海外の知人が心配して次々とメールをくれた。金曜日の夜は、街であったラボのメンバーの誕生日会に出てから宿舎に戻ったが、おびただしい被害を知り眠れなかった。その日に欧州を発ったJAL便は成田に着陸できなく函館に降りたという。

土曜日にミュンヘンからパリに飛んだ。空港の待合室のテレビでは福島原発の水蒸気爆発の映像が何回も流れ多くの人が心配そうに見ていた。パリのホテルに着くと、受付の人から、心配していましたよ、よく来れましたねと言われた。翌日の日曜日は部屋の掃除も断り、部屋に籠もってNHK-TVをPCのストリームでずっと見ていたら涙が出てきた。

海外の人の日本と日本人に対する同情と心配は深いと感じた。13日の夕方にはパリのノートルダム聖堂で日本の地震の犠牲者のためのミサが持たれた。

海外では原発のことが大きく取り上げられていた。ヨーロッパの人々はチェルノブイリの悪夢があるので敏感なのだ。私が一番問題だと思うのは、東電と政府は最悪のシナリオを隠していることである。ひとつは、福島の3号炉だけがプルサーマルでありプルトニウムが使われていることである。

NY Timesなどにはちゃんと書いある。なぜ日本の新聞は書かないのか。

No. 3 is considered one of the most dangerous of the reactors because of its fuel — mixed oxides, or mox, which contain a mixture of uranium and plutonium and can produce a more dangerous radioactive plume if scattered by fire or explosions.

加えて現在問題なのは、放射能がどこから漏れているかがまだわからないことである。わかってもそれを止めることはできるのだろうか。さらに、すべての原子炉の冷却能力が復帰したとしても、そのままの状態を何年間保たなければならないのか。