2011年12月24日土曜日

2011年

倦むこともなく、流れが岩から砂粒を剥ぐように、
人間も死によって人間性から剥がされて、ひとりひとり、
永遠の忘却の、巨きな拡がりのなかの無名の物質をみたしてゆく。
大海にも、日の明るい狭い岸辺があって、
深淵の深さを忘れさせてくれるように、
人間にも、声の還らぬ死者たちを守りながら、巨きな闇をふちどる、
黄金にかがやく岸辺がある。
人が描いたり、書いたりするのも、たしかにそのためだ。

                                                ピエール・ルヴェルディ(1889-1960)


今年を振り返って考えること。上の文章は、わたしが好きなある出版社が年頭の挨拶に用いていた文章である。今から何十年も前のことである。時折この文章を思い起こして励まされるが、東北の地で多くの方々を天に送ったこの年、わたしの研究室でひとりの院生を亡くした今年、そう感じる。

今年はわたしが若いときに聴いていた音楽を聴くことが多かった。そんな曲を聴くことができる店にもよく行った。先日、京都の古風なパブでJudy Collinsの歌に再会した。たぶん、ピエール・ルヴェルディの文章に出会った頃に聴いていた曲である。福岡に戻りyoutubeで探していたら、My Fatherという美しい曲に初めて出会った。

生き延びたわたしたちは、還らぬ死者たちの声と夢を聴き取って、歩み出すのだ。