2012年2月27日月曜日

PhD

私のラボの院生の一人が理学博士を取得して、ポストドクとしてもうすぐ米国に旅立ちます。博士号を得るには何の条件が要るのだろう。それは、巣立って独立した研究者としてやってゆけることだと私は思う。ではどれほどのレベルに達すればよいのかが問題である。その判断は指導教官に任されているが、私の基準は「研究者になるために」で書いたようなことである。

昔は、満足した結果がまとまるまで何年かかっても良いという雰囲気があった。満足できる一編の論文 が出れば良いという感じもあった。しかし昨今のアカデミアの状況を考えれば、できれば3年で取得するのがよい。しかし、実際には九大の生物で3年で博士号を取得する人は半数を大きく下回っている。

九大の生物で博士取得の申請ができる条件は、国際誌に少なくとも1編の論文が受理されていることである。国際誌の定義はない。例えば、国内の学会が出しているいくつかの雑誌はどうかと言えば、私的にはきびしい。国際誌といえなくはないが、掲載されているほとんどの論文は日本人のものであるし査読も国内で行われている。ただし、例外もある。

欧米では博士号を、Ph.D.というが、Doctor of Philosophyのことである。 博士論文審査公聴会は英語ではPh.D. defenceである。審査員の質問にたいして審査される者が的確に応戦することができるのかを判定する真剣勝負の戦いの場である。

Ph.D. は哲学博士の意であるが、ポーランドの知り合いのエラが Ph.D.を取得したときには文字通り哲学の試験があったという。日本でドクターを取得した人が、Ph.D.と書いている場合があるが、Doctor of ScienceとPh.D.は同じだろうか。

フランスで博士の公聴会の審査員を数回務めたことがある。九大の審査会とは随分違う。まず、審査員は学外、国外から招くようになっており、ドイツ、英国、オランダの研究者が来ていた。大きな講堂での発表が終わると審査員が質問をする がそれが長くて1時間を超える。関連分野全般に関わることも聞かれる。その後に審査員は別室でかなりの時間をかけて協議しランク付けをする。

公聴会には両親や友人も来ていて協議の間も待っているのである。そして判定が言い渡されてパーティーになる。

公聴会の後に不合格であったという話を米国で聞いたことがあるが、合格できるという見込みがあって初めて公聴会を開くのだと思う。日本で博士号取得の事務手続きは複雑で数回の会議を経なければならず3ヶ月ほどを要する。

さて、考えなければならないのは今の時代にあって博士号を取得することの価値が薄れていることである。博士号を取ってからポストドクとしての訓練をするわけだが、問題はその後のポジションである。

2012年2月26日日曜日

オシフィエンチムへ

M君は修士課程を終えて4月から社会人となりますが、卒業前に欧州に旅に出ます。ポーランドでは、アウシュヴィッツに行く計画です。

もし機会があるならアウシュヴィッツへは一度行って見ることをお勧めします。私が2000年に初めて行った時の旅行記から一部を以下に引用します。エラとは (Jagiellonian University コペルニクスが在籍した大学で1364年設立)昔、共同研究をしていました。

旧市街の中央広場のカフェ
晴れ間が見える朝となった。朝食後買い物に出る。中央広場の真ん中には織物会館があり、中に小さな店が並んでいる。10時の開館時にチャルトリスキ美術館に入る。美術館はホテルの真横の普通の建物でとても美術館には見えない。ダ・ヴィンチの「白テンを抱く貴婦人」を見るのが目的である。ダ・ヴィンチは肖像画を3枚しか残していないが、この作品は実際すばらしいものであった。しばらく佇んでいろいろな角度から鑑賞した。展示の中には確かに日本で見たことがある絵があった。昔、日本でポーランド美術館の展覧会がありその時に買い求めた絵葉書の絵であることがわかった。

バベル城
 12時近くにエラの車でオシフィエンチムへ。「アウシュヴィッツ」は独名である。昔からアウシュヴィッツに行くことを願っていたが、それがどこにあるかを知らなかった。今回の旅行の下調べでクラクフ近郊にある ことを初めて知った。「シンドラーのリスト」のビデオを見て予習もしておいた。駐車場にはヨーロッパの様々な国から来た車、観光バスがあった。「働けば自由になる」という有名な門をぐぐり中に入る。バラックの中の様々な展示物のすべては、大量虐殺がいかに組織的、徹底的に行われたのかを示していた。まさに、人間殺害工場である。150万人の命が消えた場所である。

 驚いたのはもうひとつのビルケナウ収容所である。「ビルケナウ」と呼ばれる当時のアウシュヴィッツ第2収容所も、現在ではポーランド語の村の名前から「ブジェジンカ」と呼ばれている。アウシュヴィッツはいわば実験場であり、ビルケナウはそれを大規模に実現したものでアウシュヴィッツの何十倍もの敷地であった。ビルケナウはナチスが撤退する時に破壊されたためガス室などは残っていない。しかし、その広大さには言葉がでないほどであった。ここには一時10万人が収容されていたという。

トラムの路線が多い
帰りに山の上にあるホテルのテラスで食事。収容所を見た後の余韻が残る状態では食事を楽しむという雰囲気はなかっ た。大学まで送ってもらい、私はエラのオフィスのコンピュータでメールをチェックして、すぐ横の公園を散策した。戻ったエラにホテルまで送ってもらい、御礼をいって最後の挨拶をする。米国の研究室を訪問する場合は夕食を一度一緒にする程度で、観光にまで付き合うことは皆無である。エラの接待は日本的である。ある本に「ポーランド人は客を親切にもてなすことを「神聖な義務」と考える」と書いてあった。

2012年2月17日金曜日

二度目の韓国

2度目の訪韓は一番寒い時期にあたってしまった。今回の旅の感想は「韓国の大学の研究環境は上昇中」である。これは昨年の3月の訪韓時にも感じたことであるが以下の3大学を訪問してその感を強くした。

Suwon  水原 Sungkyunkwan University
Daejeon  大田 KAIST
Gwangju 光州 Gwangju Institute of Science and Technology (GIST)

これまでは日本より遅れていると思われていた韓国がいろんな面で日本より進んでいると思った。例えば、シンポジウムを終えて会食に行ったが、個別研究費のクレジッドカードがあってそれで支払っていた。それどころか、院生たちだけの食事もその後のマッコリの二次会も研究経費で出してくれた。日本の大学では多くの場合、来客との接待費用はすべて個人の自己負担である。アメリカでは昔から研究費から会食代を支払っていたが、日本では今後も無理だろう。企業の接待費は膨大であるが、研究者が来客時に使う飲食費は頻度も少なく低額なのに。研究者が一緒に食事をするのは研究情報の交換がメインである。

今回は2名の院生を同行した韓国出張だった。一人は韓国に行くことにあまり魅力を感じていなかったが行ってみて考えが変わり、また良い刺激になったはず だ。特にKAISTでは院生同士がかなりの時間にわたって交流できたことがとても良かった。教官と一緒では、話題も異なるし、緊張して話ができなかっただろう。急なことだったのに院生が付き合ってくれた。KAISTでは講義も英語で行われており、院生の英語能力は高く研究者としての自覚もあり、日本人の院生と比べると差は歴然としている。

KAISTではラボマネジメントの話が印象的だった。廊下の培地用の冷蔵庫は業務用だったが、安いからというのが理由である。実験に使う小道具も安価で制作依頼して発注しているようだった。日本では特別注文で制作してもらうと膨大が金額がかかるが、韓国は人件費が安い上に技術力が高いと思った。光州のGISTでも海外のラボで使っていたmating chamberをコピーして制作したのを使っていた。GISTのラボはオープンスペースを自由に設計したため、ハエの飼育管理、行動実験の部屋が実に機能的に出来ていた。


大学国際宿舎
GISTの大学のゲストハウスに宿泊したが部屋は整っていた。日本で私は、基生研、遺伝研といくつかの大学の宿舎に泊まったことがあるがどこも最低レベルの部屋、貧弱な設備だ。GISTの宿舎は広さもありキッチンもついている。窓側には独立した洗濯物干しの小部屋まであった。また、ネット接続、テレビ、 冷蔵庫、インターフォンなどが完備し長期滞在も問題ないだろう。これまで宿泊した大学の宿舎で一番すばらしかったのはWürzburg大学である。シングルなのに広くて机がすごく大きくてキッチンも充実していた。それにスーパーがすぐ近くにあった。

今回訪問した3名のPIはすべて海外の一流ラボでのポストドク経験があり、同じ頃に韓国に帰ってきてラボを立ち上げたという互いに似た状況だ。皆が独立したPIである。彼らは頻繁に会って研究の話をしては飲み、そして皆が材料と情報を共有している。Waltonは、every single flyも共有していると言っていたが、その仲間意識はすばらしく、なによりも羨ましい。私も定期的に訪韓して加わりたいと思うほどだ。

大学以外ですばらしいと思ったのは、新幹線の中で無線LANが使えること、地下鉄にはホームドアが設置されていることなどだ。食事関係も衛生に気を配って いるようだった。また、レストランでの接客も良いと思った。福岡ー大阪往復ほどの距離の韓国新幹線の料金が4千円というのは信じられない。食事や交通費にかかる費用が日本よりはるかに安いのである。

すべて前菜(韓国の家屋を利用したレストラン、光州)
お皿が載った机が運ばれてきた

食についていえば、おかわりが自由な小皿料理システムはすごい。さらに、料理のバリエーションが多くてスープでさえも何種類も出てくるのは驚きだった。前菜の量もすごくて、メインデッシュが出てくるまえに満腹になってしまう。ただ、アルコール類は種類が少なく、焼酎も薄くて甘い。

日本と米英の科学基礎研究に勢いがなくなっている中で、中国、インド、韓国はどんどん伸びている。そのことを感じた旅だった。

2012年2月12日日曜日

生物系の研究者になるために

研究者としてやってゆくには、英語の能力を高めて世界的な視野を持つことが大切であることは繰り返し書いてきました。それに加えて必要とされることを書いてみましょう。

大学院の重点化という誤った政策によって大学院の定員が増えたことによって、博士号取得者の過剰、行き場のないポストドク問題が生じています。 加えて、世界的な財政危機によって、裕福だったアメリカ合衆国でも研究費が少なくなりポスドクのポジションの数も減少しています。

日本では今後、自由に研究ができる大学は少なくなってゆくでしょう。このような時代にあっても博士課程に進みたい方はよく読んでほしいです。日本の大学、科学には勢いがなくなっているので、先を見越す一部の人は、大学からあるいは大学院から海外に行っている時代なのです。

1. 研究への集中力
ラボに来た時、今日やるべきことが頭の中に入っていますか。また今週の、今月の、あるいは長期的な展望がありますか。その目標を自ら設定していますか。研究は強制されてやるものではなく、楽しいから好きだからやるのです。

海外の研究所で感心するのは、朝早く居室に来たと思ったら皆がすぐに実験室に籠もって仕事を始めることです。そして夕方になるとデー タをまとめて6時過ぎには皆がさっさと帰宅します。つまりラボは仕事をするところで、早く帰ってプライベートの時間を持つという姿勢です。これは米国でも同様で夜遅くまで残っているのは日本人か韓国人か中国人です。日本人はラボで遊んでいることが多いのでだらだらとなるのかもしれません。それは望ましい過ごし方ではないでしょう。

ラボにおける滞在時間が問題でなく、どれだけ集中して密度濃く、また効率的にやるかが問題です。ただ私の場合は例外で、仕事の量が多すぎて1日12時間以上集中して取りくんでも仕事が終わることがないのです。

会社・企業では社内のコンピュータを私用に使うことは厳しく規制されています。例えば勤務時間中の私的twitterが問題になっています。大学ではそこが自由なのでけじめがなくなる傾向にあるのです。自己規制しかありません。

2. 研究以外にも好きなことがあること
これは私の理想ですが、科学者としての評価の対象にはなりません。私は研究者であっても科学分野以外の分野の本を読む人が、音楽を聴いたり、絵画を楽しむ人が好きです。旅とお酒と料理も。付け加えれば、研究者が選ばれたエリートであることをぷんぷんさせている人が私は嫌いです。

3. 自立すること
ポストドクで行くラボのボスは放任主義かもしれません。これまでだれも成功しなかったテーマが与えられるかもしれません。研究者となるにはできるだけ早く自立することが求められます。与えられたテーマが上手くいきそうにないと思ったら、別のテーマを同時進行させる必要があります。つまり、自分でテーマを考 えることができるという能力が要るのです。ボスが自分で論文を書いてしまう人の場合はポストドク時代にも論文を書く能力が伸びません。

4. 学問的に重要な研究課題を思いつくことができる能力
研究課題のオリジナリティがとても重要です。たとえば研究費の申請をする場合には、分野外の審査員にその研究の新規性、重要性を訴えなければなりません。 ハイランクの雑誌に研究成果を出すには、学問的に重要(general interestがある)でなければなりません。研究テーマは無限にあります。でもそれがわかって何なの?と思われる研究が多いのです。だれも考えていないような研究テーマ、実験手法を思いつくことができる能力がとても重要です。

5. ラボ外にアドバイザーを持つこと
例えばラボで使われていない技術を導入する場合、ラボ内でアドバイスを受けることができないことがあります。そのような場合、ラボ外で質問できる人がいると良いです。欧米のラボは研究室の間に壁がなくてそれが比較的容易です。

学会では、たくさんの知り合いをつくってほしい。大ボスであっても若い人から話されるとうれしい。もちろん何を話すかが問題ではあるが。私が院生の時は国内の多くのボスたちと知り合いになっていた。また、国際学会では著名と言われる人たちと話すように心がけていた。

6. 挫折経験を乗り越えること
これは逆説的ですが、研究はいつもうまくいくとは限らないものです。数年間何もデータがでなくても耐えて状況を打開してきた人は強いです。逆にそのような苦労をしないで上手く成功してきた人は、人間的におもしろくありません。

7. 論文を出すこと
7番目になってしまったがこれはとても重要なことです。いかに優れた能力や研究成果を持っていても、論文になっていないと評価されません。評価の基準はたいへん悲しいことに論文が掲載された雑誌のインパクトファクター(IF)と論文の数です。極論すれば内容ではありません。なぜなら多くの人は他分野の研究内容を評価する能力が低いので、雑誌のインパクトファクターという数値に頼るのです。しかし、4で書いたように何が良い仕事かを見極める能力は重要です。IF信仰から脱却すべきです。