2015年4月2日木曜日

韓国ショウジョウバエ研究集会に参加して



昨年、7月2日、一日の仕事を終えて空港に向かい1時間ほどのフライトで仁川空港に着いたのは夜9時前だった。同時に到着した飛行機が多くて入国審査は長蛇の列だった。ベルトコンベアの横にひっそりと置かれた荷物を受け取って空港鉄道に乗ったのは10時少し前。ソウル駅近くの安価なゲストハウスを予約しておいたが、チェックインは11時までだったが、ソウル駅に着いて複雑な駅構内を早足で縦断して何とか迷わずにゲストハウスを見つけることができた。翌日、ソウル駅のカフェの前で待ち合わせ、韓国料理の店でジャージャー麺をいただいてからKTXに乗り込んだ。


韓国の4人の若手のPIが定期的な研究討議の集まりを持っている。場所は持ち回りで集まり、午後にPIだけの研究発表を行う。時間制限はなくて、すべて未発表のデータについて議論する。その後、夜遅くまで飲むというオプションがあり、前回から参加させてもらっている。


今回の会場はKAISTのファンシーな建物の部屋であった。KAISTは講義などをすべて英語でやっているが、会議は韓国語であることを教えてもらった。なぜならだれも見ていないからだという。おもしろい話を聞いた。KAISTの院生のユニオンが院生全員にアンケートをとり、すべての教官に結果を公開したのだという。KAISTでは院生は給与をもらえるが、その額はPIが決めるという。アンケートには、その支給額は満足できるかと、指導を評価する項目があったという。Wのラボは、財政上の理由で支給額は最低レベルだが、指導の評価はなべて高得点だったそうだ。ところが別のラボでは、Wのラボの4倍の給与を出しているそうだが、指導については全員が最低点をつけていたという。そこは物が飛んでくるようなラボだという。このようなデータは学生がラボを選ぶのに参考になるねとWは言っていた。このようなアンケートが日本で実施できるだろうか、そして公開できるのだろうか。


翌日はYの車で韓国ショウジョウバエ研究集会の会場である山の麓の研修所へ向かった。山は韓国の中央部にあって、昔、南から移動するする人は山越えをしな ければならなかったという。官僚たちは、毎年、資格試験を受けるために越えたという由緒ある山である。田舎の風景は日本と似ている。PIの3人の韓国人 は、日本映画を観ることが出来ない時代に宮崎アニメを観て育っており、トトロの田舎の風景は自分が育ったのと同じだとYは言っていた。







スロバキアから来ていた研究者は虫取屋さんだった。彼は学会の間、山で蝶を捕っていた。


さて、韓国ショウジョウバエ研究会の使用言語は韓国語だった。参加者は100人ほどで、ゆったりした雰囲気だった。 30分のトークをさせてもらった。夕食後は8時からポスターセッションだったが20題ほどで、すぐに会場で飲み会が始まった。 若い院生たちと楽しく飲んでいたら1時を過ぎていて部屋に戻って就寝。皆は4時まで飲んでいたという。


翌日は午前中で終わり昼食の後(食事の作法として食べ残しはスープの中に入れる)。車でソウルに戻った。車はサムソン-ルノーだった。日韓関係が良くないと巷では言われているが、現地でそのようなことを感じたことは一切、一度もなかった。皆、親切であたたかく迎えてくれた。