2020年7月25日土曜日

新型コロナウイルスに対する正しい理解と適切な対処

多くの研究者の努力によって、新型コロナウイルスについて多くの事実がわかってきました。しかし、どのように対処すればよいのかはまだ手探りの段階で、世界的にも混乱しています。

「新型コロナはただの風邪で、致死率も低く、そのうちに免疫ができるので自粛、対策は必要でない。高齢で持病がある人の死期を早めているだけだ。」という人がいます。しかし、新型コロナウイルスが標的とするのは、風邪の様に上気道だけでなく、肺、腸などの様々な臓器に加えて血管などの上皮細胞であり、単なる風邪ではありません。

唾液腺でも増殖し、嗅覚、味覚異常も引き起こします。免疫系を混乱に至らせて症状が急激に悪化することがあります。また、最近わかってきたことは、風邪のように元どおりに治るのではなく後遺症が残る場合があります。

新型コロナが現れた頃、このウイルスがSARSのように致死性が高いウイルスであると想定した対処法が取られました。小学校で一人の感染者が出たら、全学休校にして学校内を消毒する作業が行われますが、ウイルスの生存時間、その量を考えれば、この消毒はほとんど意味がありません。接触感染よりも空気感染に注意が必要です。
新型コロナに感染して死亡した場合、親族が火葬にも立ち合うことができませんが、これは酷く過剰な対応です。

このウイルスの厄介な問題は、感染しても無症状か軽症の人が多く、そのような人が感染源にもなることです。無症状の人は、過去に風邪コロナになったときに免疫ができていて、その免疫細胞(抗体による液性免疫でなく細胞免疫)が新型に対しても有効である可能性があります。5報ほどの論文が、T細胞免疫の重要性を明らかにしています。しかし、もし、その違いが重要であるなら、その細胞免疫がない人は確実に重症化するので、それを防ぐ対処が必要です。 実に今回のウイルスのやり方は巧妙です。


実際の対策を考えるには、数理モデルによる予測が必要です。感染者、免疫保持者の実データに基づいた複数のモデル予測ができるとよいのですが。残念なのは、数理モデルに対する一般市民の理解がないことです。それは無理もないと思います。

Cell, Nature, Science, Lancetには毎号、 SARS-Cov2の論文が掲載される。残念なのは、日本初の新型コロナウイルスの発表、投稿論文がとても少ないことです。ウイルスの遺伝子配列の決定数も少ないと思う。

バナナについて思うこと

朝食にバナナをヨーグルトに入れて食べている。たぶんドイツに長期滞在していた頃からの習慣だ。ドイツではフルーツやドライフルーツが安いので、いろんなのを買ってヨーグルトに入れて食べていた。日本に戻ってからヨーグルトを家で作るようになってもバナナを食べ続けているが、バナナ以外の果物は高いのでプルーンを時々入れるくらいである。

バナナにはGABAというアミノ酸の誘導体が含まれていて血圧を下げる作用があるそうだ(Doleが機能性食品表示を始めた)。日本ではバナナは数本がパックなっていてそれを買うしかない。店頭に並んでいるのはちょうど熟して食べ頃である。買ってきて食べきるには6日ほどがかかるので、数本は密封して冷蔵庫にいれたりするがそれでも熟しすぎてしまう。14度が保存に適した温度である。

ドイツのスーパーではバナナの房がそのまま大籠に入っていて、欲しいだけもぎ取って買うので熟しすぎることはあまりなかった。リスボンでアパートの近くの個人経営のお店でバナナを買ってきたところ、まだ熟していなくて窓辺に数日放置していた。このどちらかの売り方が日本にもあるといいと思う。

2020年7月24日金曜日

バロック音楽のたのしみ

日曜日の朝8時からNHKで「音楽の泉」というクラシックの音楽番組があって、昔から時々聴いていました。その解説を30年以上も担当していたのが皆川達夫先生です。先生の語り口はとても明晰で優しく癒されました。その前には、NHK-FMで、早朝に毎日「バロック音楽のたのしみ」(1965-1985)を担当していて、それも若い頃に聴いていて、バロック音楽について多くを教えられました。朝に、皆川先生の静かな解説とバロックを聴く時間は、至福のときでした。その頃、NHK-FMは、放送試行期間で、他の番組でもただ音楽を流すだけの番組がほとんどでした。

ところが、今年の4月頃に「音楽の泉」を聴いたら、皆川さんが出ていなかったのです。先生の最後の番組は3月29日で、4月19日に92歳で亡くなられたことを知りました。亡くなる直前まで頭脳明晰に解説を語っておられたのです。3月29日の「音楽の泉」は再放送されていて聴きました。その日の曲は、バッハのシャコンヌで、最後に、先生からの簡潔なお別れの言葉がありました。
 
先生は立教大学を定年退官後、平戸の生月島のキリシタンが歌っていた「オラショ」(ラテン語で祈祷文)の原曲を7年間も探し求め、16世紀のイベリア半島で歌われていた聖歌であることを突き止めた発見は感動的です。