2010年11月23日火曜日

地下鉄に乗って

地下鉄通勤を始めて1日に目にする人の顔の数が増えました。ぼくは車内で見渡せる範囲にある人の顔の表情、服装、持ち物を見る習性がある。同じことをして いる人がいれば目が合うはずですが、その経験はほとんどありません。地下通路を歩くときも同じですから雑踏の中でも知人を見つけることがあります。

車内の人は、目を閉じているか、携帯を見ているか、本を読んでいるかです。タイに長く暮らしている ひろこちゃんが久しぶりに帰国して、地下鉄の車内で人々が他人に無関心で死んだようにしているのを見て、この国には住めないと感じたそうです。タイでは人は他人に対してとてもやさしく、家族のように接してくれるのだそうです。

確かに日本の列車の中の情景は冷たい。新幹線が走るようになった頃から、車内の人と人の間に壁ができたのではないだろうか。私が学生の頃は東北本線の特急で隣に座った人と何度か話をして、みかんなどを貰ったこともあったことを思い出しました。海外で飛行機に乗っ た時も、何度か隣の人と話し込んだことがありますし、友達になって訪問したこともあります。

ルーブル駅のホームが美術館

パリの地下鉄の情景には日本と違う多くのことがある。まずパリでは、様々な人種、肌の色が異なる人が乗り合わせている。座席のほとんどが4人掛けのボックスシートである。全員が携帯を操作しているという情景を見ることはなく、何かを読んでいる人が目につく。朝は駅で配っている無料のニュース紙を読んでいる人もいれば、とても分厚い本を読んでいる人が多い。クロスワードをやっている人も見かける。

ドアの近くと車両の両端には折りたたみ式の座席がついていてぼくはそこに座ることが多い。そこから立ち上がるとバタンと大きな音がする。新しい車両を除いてドアを開けるのは手動で、停車駅のアナウンスも表示もない。ときどき、工事中で通過する駅があったりする。ミュージシャンが乗ってきて様々な音楽を演奏することもある。彼らは審査を通っているので誰でもできるわけではない。

パリで地下鉄や近郊電車RERに乗るととてもなつかしい気がする。パリに戻ってきたんだといううれしさを感じる。朝の車両は香水の香りで満ちている。ホームは駅によってデザイン(字体、椅子の形や色も)が異なることが多い。また壁の広告も芸術的だ。そして運転手の服装は自由でとても気軽だ。このようにひとつひとつがパリ的である。

2010年11月16日火曜日

欧州への航路

戦後しばらくにいたるまで欧州に留学した多くの人は、神戸、横浜から船に乗り、シンガポール、インド洋、スエズ運河といくつもの海を航海し1ヶ月半をかけてマルセイユにたどり着いた。そして陸路でパリに入ったのである。

1957年に北回りの航空路が開設されたが、軍事上の理由でロシア上空を飛ぶことができず、アンカレッジ経由で北極回りだった。1983年に、空路を間 違ってロシアの空域に侵入した大韓航空機がソビエト軍機により撃墜された事件は衝撃的だった。ソビエトが崩壊した1990年代に入り、シベリア上空を飛ぶ 直行便の運行がようやく始まったのである。私が初めて欧州に行ったのはシベリア上空を飛べるようになった頃だった。

今日、欧州に行くには以下の5つの選択肢があります。

0. シベリア鉄道で1週間かけて(これで行った人も来た人も知人にいますよ)
1. 福岡からソウル・インチョン 大韓航空で欧州
2. 福岡から、香港、シンガポール経由 乗り継ぎ待ち時間がたっぷりある
(成田からドバイへのルートもあります)
3. 福岡から早朝便で成田へ 欧州へ JAL, ANAなど
4. 格安航空で数日かけて行く(たぶん5回ほど乗り継いで、関空-フィリピン------)

わたしはこれまで一度だけソウル経由でした。成田経由だと朝は5時には起きなければならず、夜遅くまで荷造りをしていると睡眠時間が短くなります。また、帰国時は成田から羽田までバス移動がほとんどで、夜遅くに福岡に着きます。このバス移動がいちばんきらいでした。

中部国際空港や関空発のパリ便を使うことも多かったのですがJALの経営難で廃止になりました。中部国際と福岡間のJAL便もなくなったのですから。中部国際空港発のパリ着は成田便よりも早く、各地への乗り継ぎにも便利でした。成田便の到着時間はラッシュ時に食い込み、空港からパリ市内への移動もたいへんです。

10月21日に羽田の国際線ターミナルがオープンしました。羽田発着になると欧州への旅程が一変します。一日の仕事を終えて空港に行けばよく、さらに現地に6:20に到着した朝から行動できます。体験してみないとわかりませんが、おそらく時差ぼけになりにくと思います。私は機上では一睡もできないたちですが、深夜発便では寝れないかと期待しています。帰路でパリ発朝11時というのも好都合です。起きてすぐに空港に向かえばいいわけですから。これまでは、午後の発時刻だったので、帰る日は中途半端な使い方しかできませんでした。また、羽田に朝到着するので、帰福してからラボにくることもできます。

2010年11月15日月曜日

東京の朝

浜松町での班会議が終わり今日は東大でシンポジウムがある。朝8時過ぎにホテルを出てJR浜松町駅へ歩いて行くと、駅から出てきたスーツ姿のビジネスマン・ウーマンが歩道にあふれていた。その人並みを逆行して歩き、改札を通りホームへ降りようとすると階段は昇ってくる人であふれていた。列車が数分おきに到着すると階段へ向かう人のかたまりが渋滞する。都心の駅の朝はどこでもこのような有様だ。私は福岡での通勤も地下鉄のラッシュを避けている。東京でこの時間の通勤が毎日なら憂鬱だ。

本郷3丁目で降りて久しぶりに東大構内に入った。私は大学院のときにここで1年ほどを過ごしたことがある。シンポジウムの会場がちょうどそのあたりだったが、すでに昔の物理の建物は取り壊され新しい建物に置き換わっている。昔の建物にあった籠式のエレベーターがなつかしい。構内にはスタバの他にいくつかのカフェが出来ていた。安田講堂の脇の売店の品揃えはコンビニの4倍ほどの規模で、どこの大学でもやっている東大の名を冠した品々があふれていた。

昼食を食べた生協の食堂は建物も中の雰囲気も昔のままだった。やはり大学は町の中にあるべきだ。東大も昔は郊外への移転話があったがこのままで良かった。新しい建物がどんどん建っていくのであろうが、ケンブリッジのように何百年以上の建物がそのまま使われているように昔の建物も残してほしいものである。赤門と三四郎池は残るだろうが。それにしても九大は愚かな選択をしたものである。

この前会ったドイツ人は東京はエキサイティングだと言っていた。たしかに東京は無秩序だが常に新生している。空港モノレールは途中に国際ターミナルの新駅が出来ていた。 今度パリに出かけるときは深夜にここから発つつもりだ。そして、朝のパリに舞い降りる。

2010年11月12日金曜日

英語の壁 (2)

フランスのinraのラボでは全員が揃って昼食を食べに行きます。全員が揃うことはとても重要で一人を残していくことは悪いことだと思っているようです。全員が座れる机を探して席に着きます。食事はおしゃべりの時間です。私の周囲の会話は英語ですが、しばらくするとフランス語になってしまうことが常です。時々、フレッドらが英語で解説してくれます。

ドイツでは、ラボのメンバーが連れ立ってランチに行くことはありません。食事の席では同様に話が弾みますがドイツ語になってしまうことはほとんどありません。

先日、韓国からの訪問者を迎えてお茶をしました。しばらくして英語で話が続けられなく話が日本語になって話題も飛んでしまうことがありました。周りでわからない言葉で話が盛り上がってしまうと理解できない人は疎外感を味わってしまいますね。

2010年11月4日木曜日

流れのほとりにて

突然思いついてブログを始めた。ただし目的は研究室内での情報交換と知識の共有のためだったので、ブログは招待制とした。毎日更新などは目標にしなくて思いついたときに書くことにしました。

しばらくして、投稿の中で一般に公開しても問題なく、読んでいただきたい文章があるのかと探してみたが、意外に少なかった。でも試しに「流れのほとりにて」でそれらを公開することにした。

1週間に一度ほど投稿できればと思っています。アクセス数が急増するようなホットな話題は避けて、あまり注目されないようにほそぼそと行きたいと思っています。