2016年5月25日水曜日

迷惑メールに分類されないために




海外の研究者に初めてのメールを送ったとき返事がないことがあります。滞在希望のメールなどの場合は返事がないと 困ります。送付先のラボの別のメンバー、学科の事務担当の人に問い合わせのメールを送らねばならない場合もあります。しかし、送ったメールが迷惑メールに分類されるのは避けたいです。

メールの送信者の名前に日本語を使うと外国の相手側で文字化けをして怪しまれます。また、メールアドレスが意味 不明のランダムな文字列や数字の組み合わせもspam mailでよくありますから好ましくないです。名前がわかるアドレスにすべきです。そのようなメアドを作っておくのがよいでしょう。

名前とアドレスが関係ないとメアドを入力するのに手間がかかります。例えばkyokoさんにメールを送りたい場合、アドレスがkyoで始まれば、kyとタイプするだけでフルのアドレスが出てきます。

人間がspamかを判断することもありますが、gmailのようにメーラーが判断して迷惑メールに振り分ける場合もあります。メールを開封すること自体が危険な場合もあるので、本人が判断する場合はアドレスと件名だけで判断されることに注意すべきでしょう。その意味でも件名はとても大事です。文字化けがあってアドレスと件名が怪しければspamと判断されるでしょう。

迷惑メールの振り分けの条件で、知らないアドレスからのメールを迷惑メールに振り分けることもあるので、初めての相手にメールを書く場合は注意が必要です。

アドレスのドメインで判断されることもあります。例えば大学研究機関のアドレスは、ac.jpで終わるので受け入れるが、フリーメールアドレスははじかれる 場合もあります。ただ、九大では、ac.jpのアドレスはxxx934@のように名前に数字が入ります。わたしは数字が入るのが嫌いなので使っ ていません。海外の研究者のアドレスで名前に数字がはいるようなアドレスはほとんどありません。

最近は、公式なアドレスとしてgmailを使う人が出てきました。しかし、他のフリーメールは格調が低い感じがします。

本文も迷惑メールの判断に使われることもあり本文にURLが含まれるとはじかれる場合もあります。

2016年4月6日水曜日

旅はいつも刺激的



ウォーキング公園の側の桜色の花の木
これまで4回のインド行きはシンガポールかバンコク経由だった。今回初めて香港経由のキャセイ航空にした。どこを経由しても行きの乗り継ぎは数時間だが、すべて深夜にインド着である。一方、帰りは乗り継ぎの時間が香港経由だと短い。シンガポールとバンコクの場合は早朝に経由地に着いて出発は深夜なのでまる1 日の待ち時間がある。

香港からのバンガロール行きの飛行機の出発が大幅に遅れて深夜0時半の到着予定が2時半になった。バンガロール空港は24時間運営なので問題ない。しかし、そんな深夜に到着するといろいろと不便があると思うだが、だれ独り文句を言う人もいなく、エアラインも特に謝ることもなかった。大多数の乗客のインド人はどのような突然の変化も受け入れてしまう度量があるのだと思う。

今回の査証は、e-tourist visaという新しい方法にした。インターネットですべてが済んで送られてくるメールをプリントアウトして持って行くだけで楽だった。ところが、e-tourist visaによる入国審査は通常とは別のカウンターだったが、係官の数が少ない上に指紋をスキャンする機械の性能が悪く審査にすごく時間がかかった。審査がようやく終わり、ターンテーブルの外に置いてあった荷物を受け取りタクシーでNCBSに着いた。しかし、宿舎がいつもと違って研究所の敷地外であることがわかり、また車で移動して、部屋に入って落ち着いたのは朝の5時。深夜でも物事が遅いながらも進む事には感心した。

宿舎には警備の人が夜中もいて、ちゃんと対応してくれた。機内でも寝れなかったが、少し寝たか寝てないかわからない感じで研究所に向い、朝ご飯を食べてからラボでmeetingまで待った。今回は論文を書くためにきた。

滞在中に3名の新しい方と話す事ができた。そのうち2人はごく最近、faculty memberになった人で、共に米国で良い仕事をしてきた。それぞれ、血球の発生と心臓の病気をショウジョウバエを使って研究しようとしている。ともにオリジナルな仕事で、ショウジョウバエでこんなことができるのかと驚くプロジェクトである。このテーマはヒトの研究に直結する。血球の研究をしていた女性は、ゲッチンゲンのマックプランク研究所でドクターをとり、UCLAのラボでポスドクをしてCell, Science論文で帰国した。インドでもこのような人でないとポストがない。


 
宿泊したゲストハウスは研究所の敷地の外だった。それだけで外の雰囲気を感じることができる。すぐ近くに公園を見つけてウォーキングしてきた。早朝から近所の たくさんの人が公園の中の周囲の道を歩いている。歩くための公園のようだ。椅子もあって井戸端会議をしている集団、黙想をして座っている人もいた。1周してきて気分爽快。次の朝もウォーキングした。市の担当者とおぼしき人が体重脂肪計を持ってきて、何人かの人が 測定し持っているカードに書き入れていた。健康増進みたいなプログラムがあるのではないか。家庭にはまだ体重脂肪計が普及していないのだろう。隣の運動場では、若者がクリケットとバレーをしていた。現地の人の生活を垣間見ることができおもしろかった。






この研究所はObaid Siddiqiが創設者である。没後年を記念した集会がちょうど金曜日にあった。集まっている人の多さから、彼がいかに慕われているかがわかった。会を終えて建物の前の芝生で、high teaが持たれていた。





 
連日、最高気温は36℃ほどだったが、研究所のピロティの椅子に座っていても心地よく、不思議な鳥の鳴き声がよい感じ。外での朝食も清々しい。ここは伊都と違って、建物と自然が調和的に共存している。



最後の日の夜は、街中に出てビール醸造しているビアバーで7種類のビールを飲んだ。若い人が多かったが、親がIT関係など裕福な家庭の子たちだという解説に貧富の格差を思った。値段は日本の半額以下だった。

帰国便は深夜1時30分だったので夜の10時にタクシーで空港に向かった。ところが、またもや飛行機が遅れ、出発したのは3時であった。乗り継ぎが良いので選んだCathyだったが、行きも帰りも遅延に会ったのは不運だった。