2020年10月26日月曜日

入国審査  寛容と人権

1997年に初めてロシアのペテルスブルグに行ったとき、入国審査のブースのあたりは暗くて、卓上の蛍光灯に照らし出された女性の審査官に冷たく鋭く睨まれた。パスポートのチェックは何を見ているかわからないが長かった。それから10年以上たった2011年に再び行った時には、その雰囲気はすっかり無くなっていて少し残念だった。あの冷たい入国審査を再体験したいと思っていたから。ロシアの査証を得るのはひどく大変だったことも思い出した。

パリのシャルル・ドゴール空港の入国審査の人に
、Bonjourとパスポートを差しだすと、中を一瞬見てそのまま返されることが何回も続いた。入国のスタンプを押してもくれないのだ。さすがに最近はスタンプを押してくれる。

そういえば、昔、大学で海外出張した時には、出国と帰国のスタンプがあるパスポートのページをコピーして提出する必要があった。その昔は「ただいまから出国します」と事務に電話連絡することが要ったそうだ。

洪世和
「セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる」(米津篤八訳 みすず書房 2002)の訳者のあとがきに書いてあった印象的なことを思い出した。日本人の訳者と在日朝鮮人3世がフランスに入国する際に、パスポートを持たず在京のフランス大使館発行の書類を持つ在日朝鮮人3世が別室で審査を受けたときに、日本人が「彼女は難民だ」と言った瞬間に係官は「ああ、そうだったのか」と二人を通過させたという話である。それは2001年、私がフランスに頻繁に行き始めた頃だった。しかし、そのころから、移民は欧州で大問題になってきた。

 

書きながら思い出したことがもうひとつあった。日本で教師としての働きを終えて単身でフランスに移住した日本人の方と知り合いになった。彼女は最近、長期の滞在許可をもらったが、そのときにフランス国民として一番大切なことが何かについて担当官から話があって、それはこの国は人権を大切にすることを憶えるようにと言われたという。寛容と人権がフランスの中心にあるのだ。

私が、初めて欧州に行った時には、フランスの通貨はフラン、ドイツはマルク、オランダはギルダーだった。しばらくして、ユーロが導入されてすごく便利になった。シェンゲン協定で国を自由に移動できるようになってひとつの欧州を実感できた。最初に着いたシェンゲン協定国で入国審査を受ければ、国内線の感覚で乗り継いで他国に行くことができる。

入庫審査で意外に厳しかった体験は、カナダ、英国入国の時だ。ニューヨークからエドモントンに行った時に入国の目的を詳しく問詰められた。シェンゲン国の入国審査では何かを訊かれることはほとんどない。これも日本のパスポートが強いからだろう。

インドの入国には毎回査証を事前にゲットしなければならない。数年前から、ウエブで申告するだけで到着時に査証が得られるon arrival visa ができて楽になり、昨年は5年間有効の査証がゲットできた。

 しかし、Covid-19の影響でその査証は無効にされインドに行くことができない。最近、研究者の査証を申請することができるようになったようだが、非常に煩雑な手続きであることを知っているので躊躇する。その前に、日本からバンガロールに飛ぶ以前利用していたフライトがまだない。


             NCBSの中庭

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