2020年11月4日水曜日

ヨーロッパ、哲学、音楽、歴史

これまで、フランス 、ドイツ、ポーランド 、インド、韓国の研究者と共同研究を行って論文を出すことができました。私が欧州に行くようになったのは2000年以降、韓国とインドは2010年以降です。それ以前は米国にばかりに行っていました。なぜなら、米国の科学研究は世界の最先端をいっており、大学や研究所の体制が優れていると思っていたからです。一方、欧州の科学は一歩遅れていて、行く価値はそれほどないと思っていたのです。学会などの学術集会も米国で開催されるのばかりに参加していました。しかし、米国の研究者との共同研究の論文は1編しか生まれませんでした。それも、last authorを米国の研究者が要求しました。

世界に先んじた研究を日本で行っても米国の研究に先を越される経験を何回かしたことがあります。米国の研究がトップを行っており日本の研究はその下を行くと思われている。もちろん、ノーベル受賞者を見ればわかるように日本がリードした研究はありますし、近年では米国、欧州でPIとしてラボを率いている日本人の研究者は増えてきました。

日本と米国の不均衡な関係の背景には日米の戦後史を無視することはできません。日本は戦後も米国の支配下にあり独立国家とは言えません。それは、沖縄を初め各地にある米軍基地を見ればわかります。基地とその上空は米国のものです。日本が米国の保護国であるという印象は多くの白人の米国人が抱いているのではないだろうか。

さて、 欧州の研究者と共同研究を始めると、対等な立ち位置でできることがわかりました。彼らも私たちと同じように、米国に対して対抗意識があるので共闘できます。フランスやドイツに行き始めて、その国の人々の半数ほどはアメリカ合衆国に対して良い印象を抱いていないことを知りました。アメリカナイズされていた自分には驚きの発見でした。少数ですがフランスには英語を話したくないという学生が今いました。

米国の研究者とそのような話をすることは皆無ではないが、欧州の研究者と親しくなってわかったのは、歴史、政治の話が普通にできることです。欧州に行くようになって、私は若いころにフランスやドイツの哲学、文学や音楽によって養われていたことを思い起こした。パリのカルチェラタンの通りを歩く時に、同じ道を歩いていた先達を思い出す。

 


0 件のコメント: