2020年11月9日月曜日

多和田葉子「言葉と歩く日記」 

 多和田葉子「言葉と歩く日記」を読み終えた。多和田葉子は22歳でドイツに移住して以来ドイツに住み、日本語とドイツ語で小説を書いている作家、詩人である。興味深いのは、日本語とドイツ語を独立に操ってそれぞれの言語の小説を書いていて、例外を除いて自分の作品を訳さないことである。この岩波新書は「言葉」に注目して1月1日から4月14日まで記した彼女のユニークな日記である。

 日本からベルリンへ戻ったばかりなのに明日はアメリカに行かねばならない。

国際的に注目されているこの作家は、いろんな国で開催される文学と言語に関わる集まりに頻繁に招待されて、自分の作品を朗読したり講義をしている。そのいくつかは文学カフェのような雰囲気のものではないかと思う。そこには、異なる国の出自も違う様々な作家が集うことがあり、言語世界を交叉するようなコスモポリタンな空間ができるのだろう。一度、加わってみたい。

この日記で、興味をそそる多くの話題に接することができたが、以下の2つだけを取り上げる。

⭐️ 有名な川端康成「雪国」の冒頭である。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
これをサイデンステッカーは次のように訳した。
The train came out of the long tunnel into the snow country.
この様子を描いてもらうと、日本語を読んだ人は車内からの情景を描き、英語の人はトンネルから出る列車を上空から描くという記載があった。pp.173 このことを少し考えてみた。

日本語には列車という主語がなく、読者は、私あるいは誰かが乗っていた列車を主語とし補足して読むので、情景は車内からになる。英文には私はいなく、列車が主語であるので外からの情景になる。英語では、I was on the trainを入れないと内側からの情景にはならないが「私」があると次の文章につながらないのである。

⭐️ ドイツの少年刑務所で受刑者たちが演じる演劇の公演があり一般の人が観劇できる。作家は応募してこの劇を観た。劇は演出家の指導があった。男性と暴力がテーマの劇は、ギリシャ悲劇を取り込んだもの。劇を観ていた看守が驚きの表情をしていたという描写がよかった。芝居が終わると100人ほどの観客と14人の劇の参加者が交流して自由に話をする立食ワイン会が持たれたという。作家は劇の参加者と話を交わしている。劇の参加者は、トルコとアラビア語圏の少年が多かったという。つまり、ドイツに移民として来て犯罪を起こしてしまったわけだ。pp.179

つい最近、福岡で更生中の少年が殺人を犯した悲しい事件があった。少年刑務所で受刑者が演劇をして一般の人と話をするという状況は日本では想像もできない。更生のプロセスとしてとても意味がある活動だと感銘を受けた。

「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦」というオンラインレクチャーがあるそうです。

 ほかにも考えさせられる文章があった。

福島原発で事故が起こった時、ドイツ人は自分の国に起きた事件のように大きな衝撃を受けた。そこから脱原発の結論が出るまであまり時間はかからなかった。pp.131

雪がゆっくり落ちてゆくのを見ていると心が落ちつく。わたしは前世はシロクマだったかもしれない。pp.114
 



0 件のコメント: