わたしの青春時代はアメリカでフォークソングが全盛で、その頃はベトナム戦争の時代でもあった。戦争は1965年から10年間も続いた。
その時代、Bob Dylan, Joan Baez, Peter, Paul and Mary たちの平和を求めて歌うプロテスタントソングはアメリカの良心であり、希望だった。中にひとり、趣が他の歌手と違うJudy Collinsがいた。彼女の懐かしい曲を聴いていたら訳してみたくなった。
My Father By Judy Collins
フランスに皆で住もうと言うのが父の口癖だった
セーヌでボートに乗ろうと
そして わたしはダンスを習いたいと思っていた
わたしたちはそのときオハイオで暮らしていて、父は炭鉱で働いていた
父の夢のボートに乗ってわたしたちはいつか漕ぎ出すと思っていた
しばらくして、わたしの姉たちは、デンバーとシャイアンに行ってしまった
大きくなって ブーケを持っていい男と結婚する夢を叶えて
妹のわたしは取り残されて一人踊るだけだった
父の夢の色は音もなく褪せていった
そして、今、わたしはパリに住んでいる
子供たちは踊り、夢を見る
鉱夫だった父の人生のことを聞きながら
でも子供たちはその言葉を知らない
わたしはセーヌを渡るボートのように昔の思い出へと漕ぎ出す
そして、パリの太陽を見つめる
父の瞳に焼き付くように
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