2021年3月11日木曜日

10年前のこの日

 10年前、東北に地震が起きた時、ぼくはミュンヘンにいた。地震と津波のニュースを聞いてある人はすぐに帰国したほうがいいと言った。その日はドイツからパリに移動する日だった。空港の搭乗待ちのところにテレビがあって、福島の原発が爆発する映像が流れていた。土曜日にパリのホテルに着いて部屋でNHKの映像をPCで見て涙していた。翌日の13日の日曜日にノートルダムで追悼のミサが持たれた。

東北の海岸に造られたコンクリートの巨大な防潮堤は作るべきでなかったと思う。必要だったのは十分な高さの避難所の建設ではないか。

明治29年6月15日に三陸地方を大津波が襲った。そのとき、沖の方でノーンノーンという音が聞こえたという。言い伝えでその音が津波の音であると思った人々は避難して助かったという。昔は静かで自然の音が聞こえた。
            1978年に民俗学者の宮本常一が書いた文章

津波の発生は検知できる。津波が来ることをその地域にいる人に確実の通知して迅速に避難できるシステムと避難場所を作ることは、コンクリートの防潮堤と高台への移転の費用よりかなり安価でできるはずだ。

 

もうひとつ確認しておく必要があるのは、福島原発の廃棄処理の目処はほとんどついていないこと。

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