ぼくが若かった頃、ラジオから流れるビートルズやPPM (Peter, Paul & Mary)、ボブ・ディランを聴いていたとき、彼らが一体何を歌っているのかと知りたくて必死だった。学校帰りにレコード屋に行って歌詞を見たり楽譜の本を買ったりして数曲は訳していた。特にボブ・ディランの歌詞にはまっていた。PPMがディランの「時代は変わる」を歌うyoutubeの映像が懐かしい(Mary Traversは2009年に亡くなったが、If I had a hammerを歌うMaryが一番好きだった)。反抗的な人間であったぼくは「時代は変わる」の歌詞に悲しいほど酔っていた。そのころ息子であったぼくが父親という逆の立場に立っているのが不思議だ。しかし、若い人が大人の世界観や価値観に反抗するということが、いまの時代はなくなってしまったのはなぜだろう。一方で、その時代の「反抗」によって世の中は何も変わらなかったことを知らなければならない。
Come mothers and fathers
Throughout the land
And don’t criticize
What you can’t understand
Your sons and your daughters
Are beyond your command
Your old road is rapidly agin’.
Please get out of the new one if you can’t lend your hand
For the times they are a-changin’.
ラテン語やドイツ語のクラシック音楽の歌詞は聴いていてもほとんど理解できないので原語と訳を見ながら聴いている。しかし、英語の歌については、最近そのようなことをしていなかった。ところが、先週、歌詞と訳を見ながら聴いているという方の話に刺激されて、自分も歌詞のテキストをiPhoneに入れて聴いている。すると自分がいかに聞き取れていなかったのかがわかる。PPMの時代の歌は英語の聞き取りがたいへん易しい。英語の歌を聴いてほとんど理解できるようになりたいが難しいですね。それにしても歌詞が簡単にダウンロードできるのは何と便利なことか。
神戸への旅行で昔の曲を聴いたのが刺激となって古い記憶がよみがえってきた。今朝、地下鉄の駅からこの建物に入るまでの間にこのようなことを思い出したのだ。
2011年9月3日土曜日
2011年8月25日木曜日
BRAQUE
神戸ポートアイランドでのシンポジウムが終わって元町の中華街で皆で食事をした後に、友人と別れてから店を探して歩いていた時に音楽を流しているバーを見つけた。古いビルの2階のドアを開けると広い空間にソファの椅子がゆったりと置いてあり、ビートルズの曲が流れていた。レコードとたくさんの洋酒のボトルが並んでいる。ジャズからポップスのレコードは2500枚。いろんななつかしいポップスの曲を選んで1曲づつかけてくれる。レコードbar『BRAQUE』はとてもよかった。
私が好きなフランスの画家のひとりであるジョルジュ・ブラック(Georges BRAQUE)の絵が掛けてあったが店の名前はそこからつけたようだ。マスターは2年前に脱サラしてこの店を始めたという。置いてあったスピーカーがTANNOY Arden mkIIだった。Queenなど数曲をリクエストしてかけてもらった。バーボンを飲みつつ、年代物のスピーカーが味のある音を出していて感激。偶然とはいえこんなすばらしい店に巡り会えて幸せだった。是非、もう一度行ってみたい。
Georges BRAQUE Black Fish
学生時代、仙台の繁華街から少し横道に外れたビルの地下にあった音楽喫茶の「無伴奏」に一人でよく行っていた。細い階段を下ってドアを開けると、殺風景な穴蔵のような室内には両側の壁に椅子が並んでいて紫煙が満ちていた。その情景は今もはっきりと覚えている。1杯のコーヒーを注文して、小さな黒板にリクエストの曲を書いてバッハに聴き入ったり本を読んだりしていた。多数のレコードはバロックの曲だけだった。そこは話をするのも憚れるような場所だった。皆が同じように静かに音楽に聴き入っていた。読んだことはないが、小池真理子の小説「無伴奏」はここを舞台にしていて、彼女が高校生の時に通っていたことを知った。この店は1980年代に閉店したがマスターは仙台の郊外でチェンバロを製作しているという。「無伴奏」はあの時代にしか存在し得なかったと思う。いまはどこにもない青春の思い出の場所である。
仙台ではジャズ喫茶にも時々行っていた。マイルス・デヴィス全盛期の時代だったが、ぼくはあまり好きでなく古い曲を聴いていた。ジャズ喫茶に行くのも一人だった。ゆっくり音楽が聴けるのはそのような所しかなかった。燻っていた学園紛争が終わろうとしていた殺伐としたキャンパスを逃れて通っていたのだろうか。
最近見つけた福岡のジャズバーのBrownyはたぶん1970年以前のレコードしか置いてない。このように古いものがいろいろな街で生き延びているのはうれしい。
私が好きなフランスの画家のひとりであるジョルジュ・ブラック(Georges BRAQUE)の絵が掛けてあったが店の名前はそこからつけたようだ。マスターは2年前に脱サラしてこの店を始めたという。置いてあったスピーカーがTANNOY Arden mkIIだった。Queenなど数曲をリクエストしてかけてもらった。バーボンを飲みつつ、年代物のスピーカーが味のある音を出していて感激。偶然とはいえこんなすばらしい店に巡り会えて幸せだった。是非、もう一度行ってみたい。
Georges BRAQUE Black Fish
学生時代、仙台の繁華街から少し横道に外れたビルの地下にあった音楽喫茶の「無伴奏」に一人でよく行っていた。細い階段を下ってドアを開けると、殺風景な穴蔵のような室内には両側の壁に椅子が並んでいて紫煙が満ちていた。その情景は今もはっきりと覚えている。1杯のコーヒーを注文して、小さな黒板にリクエストの曲を書いてバッハに聴き入ったり本を読んだりしていた。多数のレコードはバロックの曲だけだった。そこは話をするのも憚れるような場所だった。皆が同じように静かに音楽に聴き入っていた。読んだことはないが、小池真理子の小説「無伴奏」はここを舞台にしていて、彼女が高校生の時に通っていたことを知った。この店は1980年代に閉店したがマスターは仙台の郊外でチェンバロを製作しているという。「無伴奏」はあの時代にしか存在し得なかったと思う。いまはどこにもない青春の思い出の場所である。
仙台ではジャズ喫茶にも時々行っていた。マイルス・デヴィス全盛期の時代だったが、ぼくはあまり好きでなく古い曲を聴いていた。ジャズ喫茶に行くのも一人だった。ゆっくり音楽が聴けるのはそのような所しかなかった。燻っていた学園紛争が終わろうとしていた殺伐としたキャンパスを逃れて通っていたのだろうか。
最近見つけた福岡のジャズバーのBrownyはたぶん1970年以前のレコードしか置いてない。このように古いものがいろいろな街で生き延びているのはうれしい。
2011年8月9日火曜日
CV
c.v.(Curriculum Vitae)は履歴書のことである。ラテン語で「人生の活動表」といった意味でしょう。日本では履歴書のファームがあってそれを埋めれば良いのですが、英文では書くべき情報は決まっていますがフォーマットはありません。したがって、いかにして魅力的なcvを書くかがポイントになります。また当然、国によってその中身は変わってきます。
今回、外国籍の方を雇用することになり書類の準備していますが、日本の事務の杓子定規さにはまったくあきれます。これまでの旅費の支払いなどで同様な事務処理をしてきましたが、雇用となると事務方が要求することは細かいです。まず、履歴は元号にして小学校からの学歴を書く必要があります。日本では4月1日入学とか書きますが英語では年しか書きませんが(時には書かない)、少なくとも月を書くように言われました。どうも日本は形式を重視して、英語圏では内容を重視するような気がしてなりません。
わたしはどちらかというと履歴などはどうでも良くて生身の人間を見て判断をすればよいという感じです。私が好きでないのはコンサートのプログラムに書いてある演奏者のプロフィールです。どの先生について、どこに留学してだれの指導を受けたかが詳細に書かれているのだが、それがどうしたと言いたい。むしろ知りたいのは、どうしてある曲を選んだかなど演奏者の音楽に対する考え方だ。
葬儀の時に、その人がこの世でなした業績や受けた栄誉が述べられることがある。しかし、この世を去るとき、人はこの世での業績や成果などを持っていくことはできない。たとえ持っていったとしても何の価値もないであろう。そのようなものを一切持たないで去る人と比べて人の人生の意味と重さに何の違いはない。人は裸で生まれ、また裸で帰ってゆくのだと私は思う。
コメントが入れられるようにしましたが、反映されるまでには少し時間がかかります。
今回、外国籍の方を雇用することになり書類の準備していますが、日本の事務の杓子定規さにはまったくあきれます。これまでの旅費の支払いなどで同様な事務処理をしてきましたが、雇用となると事務方が要求することは細かいです。まず、履歴は元号にして小学校からの学歴を書く必要があります。日本では4月1日入学とか書きますが英語では年しか書きませんが(時には書かない)、少なくとも月を書くように言われました。どうも日本は形式を重視して、英語圏では内容を重視するような気がしてなりません。
わたしはどちらかというと履歴などはどうでも良くて生身の人間を見て判断をすればよいという感じです。私が好きでないのはコンサートのプログラムに書いてある演奏者のプロフィールです。どの先生について、どこに留学してだれの指導を受けたかが詳細に書かれているのだが、それがどうしたと言いたい。むしろ知りたいのは、どうしてある曲を選んだかなど演奏者の音楽に対する考え方だ。
葬儀の時に、その人がこの世でなした業績や受けた栄誉が述べられることがある。しかし、この世を去るとき、人はこの世での業績や成果などを持っていくことはできない。たとえ持っていったとしても何の価値もないであろう。そのようなものを一切持たないで去る人と比べて人の人生の意味と重さに何の違いはない。人は裸で生まれ、また裸で帰ってゆくのだと私は思う。
コメントが入れられるようにしましたが、反映されるまでには少し時間がかかります。
2011年8月6日土曜日
フランスとドイツ
2006年からそれまでのフランスに加えてドイツに毎年行っている。その回数は9回にもなった。当初は、ヴュルツブルク↑(Würzburg)でここ数年はミュンヘンである。Würzburgはロマン街道の起点の古都である。Würzburg大学にはHeisenberg先生がいて昔から行きたいと思っていたがその機会がなかった。彼が定年で大学を去る前の数年の間に訪問できてよかった。ミュンヘンは、郊外のマックス・プランク研究所に行っている。どちらでも毎回2週間ほど滞在して実験を行っていた。
ドイツに行くようになりフランスとの違いを発見した。まず、ドイツの鉄道、列車は日本と同じように時刻表通りに動いていることである。突然の車両故障によるトラブルやストもない。ドイツではすべての交通手段が堅実な雰囲気である。タクシーがベンツであるように。
ミュンヘンでフランス人と連れ立ってドイツ料理のレストランに行ったときの発見。フランス人はドイツ語のメニューを見てもほとんどわからないのだ。フランス人にとってドイツは外国であり、フランス語とドイツ語は全く異なる言語であるという当たり前の事実を身を持って知った。食事の食べ方においてもフランス人はそろってメインディシュの皿をパンできれいに拭っていた。またデザートは欠くことができないことであることも。彼がレストランを見回してフランスではありえない光景があると言った。隣に年配の8人の男性がテーブルを囲んでいたのである。何の集まりかしらないけどフランスでは奥さんを家において男だけがレストランに出かけることはないという。
フランス同様にドイツには残っている地方色がある。日本では大都市に行けば、いや中規模の都市でも、全国にどこにでもあるチェーン店がある。札幌でも九州の焼酎が飲める。古都ヴュルツブルクには昔ながらのワイン酒場やビール酒場が数えきれいほどあるが、そこのメニューにあるビールやワインの銘柄の多くはここでしか飲めないものである。この地方の↓フランケンワインがとてもおいしいことも驚きの発見であった。ドイツでも全国規模の銘柄もあるが、地方色が強いのである。料理についても決して同じではない。ヴュルツブルクのfederweiser↓(発酵が始まったばかりのワインで秋口にだけ飲める)は他の都市は出回っていないのだろう。ミュンヘンのそれは、イタリアやオーストリアからのものが多いという。ミュンヘンにも数は少ないがワイン酒場やビール酒場がある。一方で、若い人は新しい雰囲気の店に行くことが多いという。
2011年7月28日木曜日
フランス人はバカンスのために働く
フランス人とバカンスとの関係は一般に知られているよりもすごいと思う。フランスでは有給休暇の5週間を消化することは国民の権利であり義務である。これにはパートタイムの人も含まれる。実際、フランス人の有給の平均取得日数は37日であり93%の人が満たしている。出すまでもないが日本のデータはひどいものである。平均18日ある有給休暇の消化の平均は8日で完全に使っている人は6%にすぎない。
フランスでは、この5週間に加えてクリスマス、イースターとかの休暇が別にあり、それらを合計すると2ヶ月半の休みになる。フランスにいたH君は「フランス人は1年の半分しか働いていない感じですよ」といっていた。フランス人は残業をしないので年間の労働時間は日本人よりかなり短い。数年前には、週35時間労働でもよいとする法律ができた。ワークシェアするためにである。日曜日の過ごし方に休みに対する考え方が典型的に現れている。フランスでは日曜日に開いている店はほとんどない。日曜日は自宅でゆっくり過ごす日である。
夏のバカンスシーズンになるとパリにいるのはほとんど海外から来た観光客である。休暇に入って全員が一斉に出かけると交通の大渋滞が起こるので、地区によって時期を前半、後半と決める。近所のパン屋さんがすべて閉まると不便なので近所の店で話し合って休みが重ならないようにする。日本では年中無休が売りであるが、フランスではレストランもお店もバカンスで閉まる。医者もバカンスをとって病院が閉まるので夏に病気にならないほうがよい。
フランス人は買い物が好きでなく、また、あまり新しいものを買わない。日本人がなぜあんなにパリで買い物をするのかフランス人にとって理解できないだろう。フランス人の節約はバカンスのためでもある。バカンスの楽しい過ごし方こそが人生であるという感じである。どこに出かけるかは多様である。留守の親戚の家とか、友人の別荘とか、山のロッジとかに家族で車で出かけるとか。わたしの知り合いのエマはクルーズ船を持っていて地中海の島巡りとかをしている。バカンスとは文字通り「からっぽ」になることである。バカンスの間は、自然を楽しんだり、スポーツをしたり、趣味のことをして過ごすようである。したがって現地ではお金を使わない。日本人はどこかに旅行したら現地のお土産を買ってきて配るが、フランスにはそのような習慣はない。
では他の国ではバカンスはあるのだろうか。フランスほどでないが、オーストラリア、米国、カナダで見聞きしたところでは1-2週間ほどのバカンスを取っていた。バカンスから戻ってきたら実験のベンチが占領されていたということもあった。もちろんフランスでもすべての人がバカンスを楽しめるわけではないだろう。ある本に書いてあったデータによると、バカンスに行けない人が3割以上いて、高齢者、農業関係者、低所得者の人であるという。
日本では有給休暇の消化をなんとか増やそうという動きがあるが、余裕がある大企業は別にしてまったく改善されていない。わたしも有給休暇をほとんどとったことがない。子どもがいる家族が2週間の休暇をとろうとしても中高生の夏休みにはいろんな行事があり難しい。フランスでは休暇期間中には何もない。日本では何よりも費用がかかりすぎる。日本では混雑時期に格安チケットがなくなるが、北欧では皆が旅行する時期に安くするということを聞いたことがある。日本人のゴールデンウィーク、お盆、年末年始の休みというのは「バカンス」とは言えない。また、パック旅行も「バカンス」ではない。日本で「バカンス」を取れるのは大学生か定年退職後の人に限られるのではないだろうか。
cassis
フランスでは、この5週間に加えてクリスマス、イースターとかの休暇が別にあり、それらを合計すると2ヶ月半の休みになる。フランスにいたH君は「フランス人は1年の半分しか働いていない感じですよ」といっていた。フランス人は残業をしないので年間の労働時間は日本人よりかなり短い。数年前には、週35時間労働でもよいとする法律ができた。ワークシェアするためにである。日曜日の過ごし方に休みに対する考え方が典型的に現れている。フランスでは日曜日に開いている店はほとんどない。日曜日は自宅でゆっくり過ごす日である。
夏のバカンスシーズンになるとパリにいるのはほとんど海外から来た観光客である。休暇に入って全員が一斉に出かけると交通の大渋滞が起こるので、地区によって時期を前半、後半と決める。近所のパン屋さんがすべて閉まると不便なので近所の店で話し合って休みが重ならないようにする。日本では年中無休が売りであるが、フランスではレストランもお店もバカンスで閉まる。医者もバカンスをとって病院が閉まるので夏に病気にならないほうがよい。
フランス人は買い物が好きでなく、また、あまり新しいものを買わない。日本人がなぜあんなにパリで買い物をするのかフランス人にとって理解できないだろう。フランス人の節約はバカンスのためでもある。バカンスの楽しい過ごし方こそが人生であるという感じである。どこに出かけるかは多様である。留守の親戚の家とか、友人の別荘とか、山のロッジとかに家族で車で出かけるとか。わたしの知り合いのエマはクルーズ船を持っていて地中海の島巡りとかをしている。バカンスとは文字通り「からっぽ」になることである。バカンスの間は、自然を楽しんだり、スポーツをしたり、趣味のことをして過ごすようである。したがって現地ではお金を使わない。日本人はどこかに旅行したら現地のお土産を買ってきて配るが、フランスにはそのような習慣はない。
では他の国ではバカンスはあるのだろうか。フランスほどでないが、オーストラリア、米国、カナダで見聞きしたところでは1-2週間ほどのバカンスを取っていた。バカンスから戻ってきたら実験のベンチが占領されていたということもあった。もちろんフランスでもすべての人がバカンスを楽しめるわけではないだろう。ある本に書いてあったデータによると、バカンスに行けない人が3割以上いて、高齢者、農業関係者、低所得者の人であるという。
日本では有給休暇の消化をなんとか増やそうという動きがあるが、余裕がある大企業は別にしてまったく改善されていない。わたしも有給休暇をほとんどとったことがない。子どもがいる家族が2週間の休暇をとろうとしても中高生の夏休みにはいろんな行事があり難しい。フランスでは休暇期間中には何もない。日本では何よりも費用がかかりすぎる。日本では混雑時期に格安チケットがなくなるが、北欧では皆が旅行する時期に安くするということを聞いたことがある。日本人のゴールデンウィーク、お盆、年末年始の休みというのは「バカンス」とは言えない。また、パック旅行も「バカンス」ではない。日本で「バカンス」を取れるのは大学生か定年退職後の人に限られるのではないだろうか。
cassis
2011年7月24日日曜日
never-say-die
正直、よほどのことがない限り米国に勝つのは無理じゃないかと思っていた。体格、スピードなどフィジカルが劣勢で、なにしろこれまで24戦で勝ったことがない相手だったから。でもある選手が「いいかげん、負け続けるわけにはいけない」と対戦前に言っていた言葉が印象的だった。
しかし、そのような状況にもにもかかわらず、なでしこの全員が懸命に献身的にパスを回し、チームワークで走り続け、実に執念のゴールを決めて同点にして、延長戦でまたリードを許し、後半でもうだめかという時に、澤が信じられない角度からシュートを決めて同点にして、PK戦となった。PKでは米国の最初のキックをGKがとめて勝てるような気がした。そして勝った。
ドイツとの試合前に監督は東北の震災のビデオを見せたという。ドイツのサポーターも日本を応援してくれていた。延長戦の後半の最後で岩清水がゴール前でボールを持ってフリーになった選手をタックルで倒してレッドカード退場となった。ロスタイムにゴールの真ん前でFKになった時はもうだめかと思った。でも彼女があそこで身を挺して止めていなければ負けていたかもというシーンだった。何回ももうだめかと思ったが、最後まで諦めなかった心が勝った。
2本のPKを止めたGK海堀の自然体のコメントがいい。「あんまり実感がわかないんですが、すごいことやったんですね。本当に信じられません。PK戦は試合で失点してしまったので、絶対止めてやるという気持ちだけで臨みました。アメリカはうまかったけど、それ以上にみんな頑張ったから優勝できたと思う」
技術的、体力的に劣勢でも気持ちで、心で勝ったのである。この感動のドラマのキーワードは「貧しさ、苦しさの中で、みんなで、あきらめない、折れない心、勝つという気持ち、笑顔、信じる」だろうか。その人生のドラマの瞬間を見ることができてほんとによかった。
このキーワードのようなことを英語でどう表現するかというと(ロイターの米国サイトにあった文章)、
The never-say-die team from Japan played their hearts out.
Japan played with awe-inspiring energy throughout the tournament.
澤のコメント訳
We had so much self-confidence all the way to the end and we all believed in ourselves all the way.
米国のエース、ワンバックのすばらしい言葉。
"Japan was playing with a very large 12th man; it's called desire and hope"
「日本には12番目にとても大きな人がついていた。その選手の名は〈あきらめない心です〉」
米国のGKのHope Soloのつぎの言葉もあった。(NY times)
“They’re playing for something bigger and better than the game,”“When you’re playing with so much emotion, that’s hard to play against.”
「彼女らはゲームをこえた、何か大きくてより良いもののために戦っている。そんなつよい感情を抱いたチームと戦うのは難しい」
しかし、そのような状況にもにもかかわらず、なでしこの全員が懸命に献身的にパスを回し、チームワークで走り続け、実に執念のゴールを決めて同点にして、延長戦でまたリードを許し、後半でもうだめかという時に、澤が信じられない角度からシュートを決めて同点にして、PK戦となった。PKでは米国の最初のキックをGKがとめて勝てるような気がした。そして勝った。
ドイツとの試合前に監督は東北の震災のビデオを見せたという。ドイツのサポーターも日本を応援してくれていた。延長戦の後半の最後で岩清水がゴール前でボールを持ってフリーになった選手をタックルで倒してレッドカード退場となった。ロスタイムにゴールの真ん前でFKになった時はもうだめかと思った。でも彼女があそこで身を挺して止めていなければ負けていたかもというシーンだった。何回ももうだめかと思ったが、最後まで諦めなかった心が勝った。
2本のPKを止めたGK海堀の自然体のコメントがいい。「あんまり実感がわかないんですが、すごいことやったんですね。本当に信じられません。PK戦は試合で失点してしまったので、絶対止めてやるという気持ちだけで臨みました。アメリカはうまかったけど、それ以上にみんな頑張ったから優勝できたと思う」
技術的、体力的に劣勢でも気持ちで、心で勝ったのである。この感動のドラマのキーワードは「貧しさ、苦しさの中で、みんなで、あきらめない、折れない心、勝つという気持ち、笑顔、信じる」だろうか。その人生のドラマの瞬間を見ることができてほんとによかった。
このキーワードのようなことを英語でどう表現するかというと(ロイターの米国サイトにあった文章)、
The never-say-die team from Japan played their hearts out.
Japan played with awe-inspiring energy throughout the tournament.
澤のコメント訳
We had so much self-confidence all the way to the end and we all believed in ourselves all the way.
米国のエース、ワンバックのすばらしい言葉。
"Japan was playing with a very large 12th man; it's called desire and hope"
「日本には12番目にとても大きな人がついていた。その選手の名は〈あきらめない心です〉」
米国のGKのHope Soloのつぎの言葉もあった。(NY times)
“They’re playing for something bigger and better than the game,”“When you’re playing with so much emotion, that’s hard to play against.”
「彼女らはゲームをこえた、何か大きくてより良いもののために戦っている。そんなつよい感情を抱いたチームと戦うのは難しい」
フランス人の食への執念
フランスでは社員食堂がない場合は、会社が昼食代を出さなければならないという法律があります。1,000円ほどのチケットが支給されるのですが、それを使わないで貯めておいて夕食のディナーにも使えると聞いたことがあります。全額が会社負担ではなく少しだけは給料から差し引かれるようです。
フレッドがいる研究所INRAでは、1500円ほどするランチが500円以下で食べられ、国が一部を負担していると聞きました。外部の人は正規の料金を支払う必要であるので、わたしは訪問者の証明を見せるか、フレッドに支払ってもらうかしていました。ちなみに学生が支払うのは300円ほどです(手続きが必要です)。初めて訪問した時は昼食チケットをもらいました。訪問者があるときはフレッドがワインの小瓶を買ってくれます。感心したのは食券には食後のコーヒーのチケットがついていて、食事の後に2階のカフェでお茶をすることです。食後に1時間(食事が1時間+)も話し込んでいる職員がたまにいて、フランス人が怠け者といわれるのはこういうことね!と納得しました。
いずれにしてもフランスの「食」に対する執念はすごいです。INRAの食堂にはちゃんとしたシェフがいて、豊富すぎるメニューがあります。メインはいつも3種類から選択、サラダ、サイドメニュー、デザートも豊富にあります。確実に太ります。ラボのメンバーが全員で食堂に出かけてテーブルについて、最後のひとりが食べ終えるまで待っています。昼食が豪華なので、ここに滞在していたI君らは、昼食のときにもらった無料のパンで夕食を済ませていました!
訪問していたアメリカ人が「フランスの昼食はすごいが、そこで行われている研究の内容はいまいちだ」という陰口を聞いたことがあります。でも、アメリカの大学のカフェテリアの食事はカロリー計算なんかしていないジャンクフードが多くてこれも困ります。
andouillette
フレッドがいる研究所INRAでは、1500円ほどするランチが500円以下で食べられ、国が一部を負担していると聞きました。外部の人は正規の料金を支払う必要であるので、わたしは訪問者の証明を見せるか、フレッドに支払ってもらうかしていました。ちなみに学生が支払うのは300円ほどです(手続きが必要です)。初めて訪問した時は昼食チケットをもらいました。訪問者があるときはフレッドがワインの小瓶を買ってくれます。感心したのは食券には食後のコーヒーのチケットがついていて、食事の後に2階のカフェでお茶をすることです。食後に1時間(食事が1時間+)も話し込んでいる職員がたまにいて、フランス人が怠け者といわれるのはこういうことね!と納得しました。
いずれにしてもフランスの「食」に対する執念はすごいです。INRAの食堂にはちゃんとしたシェフがいて、豊富すぎるメニューがあります。メインはいつも3種類から選択、サラダ、サイドメニュー、デザートも豊富にあります。確実に太ります。ラボのメンバーが全員で食堂に出かけてテーブルについて、最後のひとりが食べ終えるまで待っています。昼食が豪華なので、ここに滞在していたI君らは、昼食のときにもらった無料のパンで夕食を済ませていました!
訪問していたアメリカ人が「フランスの昼食はすごいが、そこで行われている研究の内容はいまいちだ」という陰口を聞いたことがあります。でも、アメリカの大学のカフェテリアの食事はカロリー計算なんかしていないジャンクフードが多くてこれも困ります。
andouillette
登録:
投稿 (Atom)

