2021年2月16日火曜日

旧東ドイツに学ぶ男女平等

以前は東ドイツ(DDR)だったマグデブルクに3年前に滞在していた時に学んだことのひとつは、東ドイツでは男女平等が西ドイツよりも幅広く実現されていたことです。ドイツで初の女性首相となったメルケルは東ドイツ出身の物理学者であったことが象徴的です。東は経済的に豊かでなく監視下で不自由な生活をしていたという印象を抱いていた私には新鮮な発見でした。

ネットで調べると東ドイツの男女平等に関する多くの記事が見つかります。今回「あごら」117号(1987)に掲載されていた「フェミニズム運動のない国 東ドイツの女たち専業主婦のいない国 医療も完全平等」を見つけて読みました。東ドイツから、議会議員と看護婦の方が来日して日本の女性団体の集まりで講演した内容を読むことができます。以下にその抜粋を掲載します。


(フェミニズム運動のない国 東ドイツ - 国立女性教育会館 でググるとPDFのサイトが出ます)

1949年に発効した私たちの最初の憲法は、男女は法の下において平等であると規定し、これに反する法律はすべて無効としました。

DDRの最初の憲法で原理として最重要視したのは、入閣の自由と権利の保障でした。その内容は、男女だけでなく、階層や宗教による差別をいっさいなくすことであり、少数民族の差別の撤廃も目指しました。

この問題の解決にあたって、私たちの国家と党は、三つの重要な原則から出発しました。

1 女性問題は、社会全体の発展の諸問題を解決することによってのみ解決することができる。
2 女性の解放をめぐる闘いの鉾先を男性に向けることはできないし、向けてはならない。なぜなら、それは男性の責任ではなく、旧来の社会体制の責任だから。
3 女性に対する援助は、特権を与えることではなく、母性に関係した社会的不利益をなくすためにある。

しかし私たちのDDRでも、女性のために多くの資金が投入されている反面、莫大な軍事費支出を余犠なくされています。私たちは軍事費を一マルクでも減少させ、その分、社会福祉に役立てたいと考えています。我が国の最大の使命は、ドイツの地から二度と戦争を起こさないということです。


このような出発があった結果として、東ドイツでは、1989年時点で現役世代の女性の91%が働いていたそうです。子供を預ける保育園は無料でした。統一後に西では東に倣って保育所が整備されたそうです。今でも、私たちは昔の東ドイツから学ぶことができると思うのです。東における男女同権は、労働力を上げるためであったという動機があったのですが。

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