2018年11月22日木曜日

ドイツの朝は早くて、帰りも早い

ドイツでは朝は5時過ぎに起きて7時半にはラボに行っています。起床してから1時間半以上のゆったりした時を持てるのは、これまでの人生ではなかったことで精神的に充実しています。ゲストハウスからラボまでは歩いて2分ですから1時間以上かかっていた現役時代とは雲泥の差があります。

ゲスハウスの世話をしてくれているおばさんは朝6時から働き始めます。いつも、朝の挨拶をしてくれて、遠くにいる時は手を振ってくれます。彼女はドイツ語しか話さないのですが、この朝の挨拶だけで心が通ってあたたかい気持ちになります。

研究所に着くと朝からロビーでお茶をしている皆さんがいます。朝から優雅だなと最初は思ったのですが、早朝からの仕事を終えての一休みであることがわかりました。

このように研究所は朝早くから始動しています。ラボの秘書の方も朝7時半に来ます。朝早くから働いていた人は早く帰ります。昼過ぎから帰っていく人が見られます。ポスドクの人でも日によって4時には帰る方がいます。子供の迎えをするそうです。

日本であれば、仕事が忙しい時は夜遅くまで働いたり、土日も出て来たりが当然ですが、ドイツの人は夜まで仕事をすることはなく土日も仕事をしません。もちろん、何事にも例外があって土日も来ている人は極少数います。しかし基本は、働く時間が決まっていて、それ以上に働くことはしないのです。だから、彼らが忙しいと言っている状況は、私から見るとまったく忙しいことにはなりません。

不思議なのは金曜日の午後は早く帰る人が多いことです。土日が休みであるなら金曜日は夕方までちゃんと仕事をしようとは考えないのです。ドイツ人にとって日本の過労死(karōshi)は想像もできなくありえないことです。

2018年11月20日火曜日

ドイツ人は冬、リビングでマツボックリを楽しむ?


スーパーの果物売り場の横にマツボックリが売られていました。樹脂で出来ているようにも見えてクリスマスの飾り用かと最初思いました。あるいはお菓子かな?とも。ラボの人に訊ねてみたら本物の松ぼっくりでした。一人の人が言うには、お父さんがいつも買って来てヒータの上に置いていて、開いてから実を食べるそうです。ただ、そのことを知らない方もいました。早速自分も買ってきました。居間に置いて開くを待つことで自然を感じることができる!ような謳い文句が書いてありました。


あ!開いてきたよ!

2018年11月19日月曜日

インドから来た院生

私が座っている場所から見える窓の外の風景
インドのバンガロールにある研究所InStemのラボと共同研究をしている関係で、相手ラボのマスターの学生を2週間ドイツで実験指導することになっていました。その計画は2月にインドに行ったときに決まっていました。

今年の3月にはデリー近郊の研究所の院生を名大で実験指導をしました。退官後にこのように、他の研究者のための手助けができることはとても嬉しいことです。来週にはフランスに行って実験指導をします。海外ではこのようなことを行う垣根が低いと思います。

彼はバンガロールからムンバイに飛びましたが、そこからフランクフルト行きの便に搭乗することができませんでした。なぜなら、前日にゲットしたビザが有効になる日付が1日遅かったからです。ところが翌日の便はなくて、ムンバイに2泊してからドイツに入国できました。彼にとって海外は生まれて初めてで、さらに飛行機に乗ったのも初体験でした。


そのことを聞いて私が大学院生の時に米国に行った時のことを思い出しました。東京の米国大使館で査証を貰ったと思います。警備が厳しかった成田空港に入り、中華航空の米国行きに乗ったのが人生初めての飛行機で、離陸の時に手に汗を握る感じだった。もう着いたのかと思って外を見ると目がさめるように美しい青い海が見えて飛行機を降りた。ホノルル乗り継ぎ便だったのである。緊張して入国審査を受けたことをその時の情景共に覚えている。良き先輩に誘われてUCLAのラボに2週間ほど滞在した初めての海外旅行だった。


2週間という限られた期間でデータを出さないといけないので彼は土日も実験だった。彼はとても頭の回転が早く手も良く動く。私がこれまで接して来た学生の中でもトップレベル!実験データをエクセルでまとめてパワポファイルで持って来たが、データの計算方法が間違っていたので指摘すると15分後に訂正して持って来た。普通の人だと絶対に30分はかかる作業だ!

彼はインドの南部の出身である。インドでは20以上の異なる言語が話されているが、彼の出身はタミル語の地方である。バンガロールの研究所で多くの院生はヒンディー語を話すが彼はさっぱりわからないと言っていた。ヒンディー語がインドの中部、北部で話されるメジャーな言語である。

2週間の滞在で、4種類の実験手法を伝授、指導して大凡の結果が出てよかったです。彼も有意義な体験だったと感謝してくれました。



インドへのお土産にチョコを買いたいというのでスーパーに案内し、ドイツのチョコがどれかを教えてあげました。ドイツのスパーは特にクリスマスの時期なので、いたるところにチョコ売り場があります。ドイツのチョコは種類が多すぎて選ぶのに困ります。もっともポピュラーなmilkaを推しました。レジで板チョコが大量に並べられ合計7000円ほどでした!友達が多いのだそうです。



 



この1週間でマグデブイルグはとても寒くなり、最高温度は10℃以下、最低は零下で霜が降りています。ドイツの冬を体験するのもいいなと思っています。日照時間も短くなってきました。朝ゲスハウスを出るときにはまだ暗く、帰る時にはすでに真っ暗です。ビタミンD不足にならないように紫外線にあたる必要がありますね。



2018年10月15日月曜日

Universitätsklinikum Magdeburg


研究所はマルデブルグ大学の大学病院(Universitätsklinikum)の敷地内の奥にあります。ここには薬学部、医学部もあり、それ以外の学部は中心部から近い場所にあります。陽気な日曜日のお昼に構内を散歩してみました。森のような茂みが各所にありベンチが所に置かれていた。自然の中にある病院という雰囲気である。




ゆとりの自然の空間はドイツの精神的な余裕と豊かさを象徴しているように感じます。

2018年10月8日月曜日

ドイツで査証ゲット



日本人はドイツに3ヶ月までビザなしで滞在できる。私は5ヶ月滞在するのでビザが必要であった。日本のパスポートは強力でほとんどの国にビザなしで訪れることができるが、私がこれまで旅行した国では、ロシアとインドが例外であった。それぞれたいへん苦労した思い出があり、ドイツではどうなるかと思っていた。実際、書類不足で出直した話も聞いていた。


ドイツに来て2カ月が経過したので、現地の保険に加入してビザを申請することにした。クレジッドカードの海外旅行保険は渡航後3ヶ月まで有効であるが、10月からドイツの保険に加入して書類を入手した。ウェブで査証申請書をゲットして記入し、研究所で発行してもらったゲストサイエンシストの書類とゲストハウスの入居許可書を持って早朝に出かけた。申請書はドイツ語のwebページからのダウンロードだったのでラボのドイツ人に教えてもらった。

交付事務所は朝8時に開くが、新学期なので学生、移民の人も多いから早く行って並んだ方がよいと言われた。40分前に到着すると4番になった、8時10分前には30人ほどが並んでいた。受付を済ませて番号を受け取り待っていると程なく行き先の部屋が掲示された。部屋に入ると、若い女性が担当だった。机のスタンドにはお子さんが書いた絵が張ってあり和やかな雰囲気である。


パスポートのスタンプが多すぎて今回の入国スタンプがなかなか見つからなくても急かされることなく笑ってくれて、研究所発行の書類を見せるとすぐに理解してくれて(研究所名、LINはこの地で信頼があるようだ)、査証発行の手数料金を教えてくれた。振込の機械があることころまで案内してくれ振込後に部屋に戻ると査証をプリンターで印刷してくれ、スタンプを押してパスポートに貼ってくれて完了。何のトラブルもなく快適に終了した。担当になった方がとてもよかったようだ。「ご親切にありがとうございました」と礼を言うと微笑んでくれた。

予想外に簡単に済んだことがうれしくて早朝に開いていたすぐ近くのスーパーでワインを買って帰った。

Saale-Unstrutのワインはライプツィヒとワーマールの間にある旧東ドイツ、エルベ川の支流のザーレ川のワイナリーで作られる。300円のワインはイマイチだが500円出せばとても美味しいことがわかった。ところがその後、300円以下でも美味しいワインに出くわした!

2018年9月25日火曜日

東西ドイツ

 45年の間分断されていた東西ドイツは、統一後28年を経過した今でも、違いがあることに気づかされます。ドイツの西側ではたいてい英語で大丈夫ですが、こちらの少し年配の方はロシア語を学んでいたため英語が通じない人がいます。また西側に比べると経済的に貧しく、格差の解消にはまだ何十年もかかりそうです。驚いたのはサッカーのロシアW杯の時、この地ではまったく盛り上がらなかったという話です。なぜならドイツリーグの主要なチームのほとんどが西側にあるからです。チームを支えるには地元企業のサポートが必要だからです。

 マグデブルグで出会うアラブ系と思われる人の多くは子連れの難民だった人々です。8月末に外国人排斥を主張するネオナチの人々に、一般の人が加わったデモ(暴動)がこの近くの都市ケムニッツでありました。きっかけは、何らかの口論によって一人のドイツ人が中東出身の二人に殺された事件でした。外国人排斥の騒動が旧東ドイツの地域で頻繁に起こることの背景には、歴史的な問題があり深刻です。反EUを掲げる政党の支持者が多いのも東の地域です。今回の騒動は、ドイツの行く末についての不安を掻き立てるものでした。


 しかし、健全だなと思うのは、この事件についてのドイツの新聞の論評記事です。実に長い文章で、現実を歴史的・社会的に考察しています。このように深く考える人々がいることに希望があるように思います。そして人種差別に反対するデモもすぐに各地で行われました。一方、日本では、マスメディアにおいても真摯な議論が少なく、ヘイト的な発言が放任され多くの人が無関心ではないでしょうか。

2018年8月17日金曜日

マグデブルグの日々暮らし

8月からドイツで単身生活を始め、研究所で実験をしている。暮らしているマグデブルグは昔、東独だった。かつては司教座が置かれており歴史的に重要な都市であったが、観光名所もほとんどないのであまり知られていない。しかし、理科の教科書に出てくるマグデブルグの半球による実験が行われた場所としては有名である。
 
ただ、近くに大きな空港がないので不便である。日本からの直行便が着くドイツ国内の空港は、フランクフルト、ミュンヘン、デュセルドルフであるが、どこについてもマグデブルグまでは鉄道で4時間ほどかかる。近い大都市はベルリンだが、首都であるにもかかわらず日本からの直行便は飛んでこない。

到着してしばらくドイツも異常気象で暑い日が続いていた。こちらは家に冷房がないのが普通なので、研究所のゲストハウスもめちゃ暑い。ラボの扇風機を借りて来て何とか凌いでいます。電気屋さんに行っても扇風機は売れ切れだそうです。もうひとつの問題は窓に網戸がない(標準仕様)ので開けられません!蒸し風呂で扇風機の状態です!という日が2日続いたのですが、昨夜は涼しくなりました。ところが、窓を開けても虫がほとんど入ってこないことを発見してからは、窓を開放して寝ていました。なぜ虫が少ないかは不明です。

ドイツの朝は早い。6時前から研究所に人が来始め、8時頃が出勤のピークです。朝の7時半に私がゲストハウスを出る時には、掃除をしてくださる優しいおばさんがすでに働いていて、おはよう!の挨拶をしてくれます。朝が早いかわりに帰りも早いです。午後から帰り始める人がいて、研究者も3時過ぎに帰る場合もあります。5時になるとほとんど誰もいません。

日々気がついたことをメモしてみた。


ドイツ初日のランチ!“Kaltschale” “Fruchtkaltschale”とかいうスープです。


メンザにサラダバーがあって20種類ほどの品から選んで重さで料金が決まります!サラダだけで立派なランチになります!写真で緑に見えるのはフェルドザラート(Feldsalat)です。ただこれは冬野菜のはずですが?グリム童話のラプンツェルンはフェルドザラートのことです。フェルドザラートは大好きでドイツに来たらいつも食べてます。香りはほとんどありませんが、ナッツっぽい風味かもです。ビタミンAとC、カリウム、鉄分、葉酸などが豊富だそうです。


今朝、研究所の駐車場に停まっていた東独時代の軍用車!マニアの人が職員にいるんだ!30年以上前のクラシックカー!「トラバント」「トラビ」といって、特別許可を取得した車がベルリンでも多数走っているらしい!でも燃料メーターがないという!メカが単純で自分で修理するらしい。


研究所のロビーには3種の自動販売機がある。それぞれ、サンドイッチ、お菓子と水や炭酸飲料、コーヒーが買える。大きなカップのコーヒーは100円。Dallmayrがドイツではメジャーです。


洗濯機の仕様は国によって違います。ドイツではお湯を使うのが標準で、ドラム式がほとんどです。衣類の種類によって90度まで温度調節するようです。予備洗いがあって本洗があって1時間ほどかかります。インドでは15分ほどですべてが終わっていました。洗濯機メーカーは輸出しようと思ったらお国事情を調査してからでないと売れないでしょう。

ドイツ人は足が長いので、ぼくにとって学食の椅子の高さと階段の大きな段差がたへんです。研究室の椅子は高さの調節ができるから良いのです。階段は日本の1.5段以上の高さがあります。さらに高いのが自転車です。サドルがハンドルと同じ高さでほぼ胸の下の高さにあります。彼らは足が長いうえに足がつかない位置で漕ぎます。借りて乗るのは絶対に無理だと思います。ママチャリのような自転車はありません。




歩いて20分ほどのスーパーに買い出しに。豚肉ミンチの味付けがありますがサンドにして生で食べます。ドイツではちゃんと管理されていて絶対大丈夫です! これまで買った2種類は黒パンでしたが酸っぱくないです。丸い形のが確実に酸っぱいと思います。ぼくは酸っぱくてもまあ平気です。ハムやチーズ、レバーペースト、ジャムを付けて食べるのが普通だと思います。



Plattpfirsichと言って平たいモモです500 gで1ユーロしないです!丸い桃も並んでいます。海外は果物が安くていい。

ビールはほとんどガラス瓶です。そのボトルもペットボトルもアルミ缶もすべて店に持って行って、回収機械に入れるとリファンドされます。中身の水よりもペットボトルの回収料金が高い場合もあります。ビール瓶よりペットボトルの方が高いです。買い物に行くとき空になった瓶をにこまめに持っていかなければなりません。


街中の大聖堂でのパイプオルガンコンサート行って来ました。荘厳な残響があるドームでした。1363年に建設されたドイツ最古のゴシック様式建築で戦争で破壊されて再建したそうです。


 昨日はダーチャ(Datsche)という場所に行きました。外のオープンスペースや屋根があるスペースに椅子が並んでいて子供が遊べる砂場や小さなプール、卓球台があります。家族連れが子供を遊ばせながらゆっくりできます。バーガーと飲み物を売る売店に買いに行って飲食をしながらゆっくり過ごします。ダーチャという言葉を初めて知りましたが、ダーチャはロシアに始まったもので、都会に住む人が郊外の田舎にセカンドハウスがあって週末や休暇を自然の中で農作業をしながら過ごすというものです。それが東独にも広がってきたようです。わたしがいるマグデブルグは東独に属していました。ドイツ全体ではクラインガルテンと呼ばれているようです。昨日行ったのは、昔ダーチャだった場所を改造してお店にしたようです。緑の中にありました。




2018年3月14日水曜日

自由書房と星の王子さま

私が高校生だった頃の息抜きのひとつは定期試験が終わった日の帰りに書店の自由書房に行くことだった。帰りといっても自由書房は通学路の途中にはなくて、遠く柳ヶ瀬にあって自転車で行っていた。今なら自転車で行こうとは思わない距離である。いろんな本を見るのが楽しみだった。入口を入ると上が四角に切り取られて吹き抜けになっている。切り取られた残りの部分には数メートルの2階部分があって本棚が並んでおり片側はレコードのコーナーになっている。高校2年の頃、発売されたばかりのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandを売り場でかけてもらった。高校生の内気な私が店のお姉さんにそんなリクエストをすることができたのは信じられないが、今でもジャズ喫茶で軽くリクエストできるのはその時の経験があるからかもしれない。ある時、レコード売り場の反対側のピロティの本棚で本を見ていた時に、男女がやってきて、女性が「あ、これ、星の王子さまを書いた人のだ!」といって「夜間飛行」の本を指差した。男性はまったく興味がないようだった。私は心の中で「そうですよ」と言った。あれから50年が経って、柳ヶ瀬のバス停の前に立った時、自由書房があった場所が更地になっていた。でも、その時の情景と、そこで過ごした自由な時間は鮮明に記憶している。サン=テグジュペリの「星の王子さま」は高校生の私とって希望であり救いだった。 
 

 

2018年3月10日土曜日

インドでの新しい発見


1. インド北東部

今回、研究所に来ている3名の女子の院生と知り合いになりました。ヒマラヤ山脈の近くのインドの北東部出身の方です。インド北東部には200の言語の持つ少数民族の人々が住んでいます。日本は同調性が求められ、生まれながら茶色の髪の生徒は黒く染めることが強要される社会です。一方、インドはそれぞれが異なりながらもひとつの国を作っています。これまで私がインド北東部で知っていたのは日本軍が侵攻したマニプールだけでした。北東部の地形についても知らなかった。マニプル州イーターナガルは、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州の州都で紅茶で有名なアッサムもある。

北東部の研究教育環境の整備が遅れているのでNCBSの研究者が現地の大学との協力関係を築きたいというプロジェクトの予算申請を行い認められた。しかし、その研究者が急死したために私の共同研究者がその事業を担当することになり、3名の院生を受け入れているという。研究所の他の人はこんなことをやっていることを知らないと彼は話していましたが、私が大学で高校生を受け入れて実験していたときと同じだと思い起こしました。皆、日本と韓国に近親感を持っていてとても優しく、ちょうど市内で開催されていた日本バザールに一緒に行きました。

2. インドと日本

昼食時に会って話をしたインド人から三十三間堂や東大寺に仏教のインド伝来の痕跡を自ら見つけた話や、芭蕉の俳句を教えてもらった。英国のケンブリッジ大学の研究所とNCBSを掛け持ちしているインド人。子供の頃は貧しい家に住んでいたそうです。そこで貧富の差についての話がほとんどでした。アメリカのことを話していて、自分たちは難民としてやってきたのになんで今は難民を拒否するのか?昔のことを忘れているとも話していました。

日本にも毎年行っていてインドの仏教が日本にどのように伝わったかを実際にお寺に行って見ているそうです。三十三間堂や東大寺にはインドの言葉が残っているそうです。後で調べてみると、奈良の大仏の建立の事業を指揮したのはインドから僧侶だったことを知った。日本の仏教は中国から伝来が多いがインドから直接来ているものがあるということですね。また彼は俳句を英語で読んでいて奥の細道を回りたいと言っていた。まさかインド人から芭蕉の句を教えてもらうとは。彼がすばらしいと言っていた句は以下のもので解説をしてもらいました。

     手に取らば 消えん涙ぞ熱き秋の霜



3. インドでの発見



インドのトイレの便器の横には蛇腹の先に小さなシャワー口がついたものが置いてあるのに気がついていましたがその用途を考えたことはなかった。RCBの研究所のトイレに行ってみるとトイレットぺーパーが置いてないのです。困ったなと思っていて気がつきました。それが手動式のウオッシュレットだということを。使ってみると冷たい水が生きよく良く出て気持ち良かったです。問題は残った水分をどのように除去するかですが、事前に考えていて部屋にあったトイレットペーパーの切れ端を持っていたので大丈夫でした。バンガロールの宿舎のトイレはトイレットペーパーがいつも置いてあったので気がつかなったのです。それにバンガロールの新しい研究棟のトイレは近代的なものでした。高級ホテルなどのトイレには手動式のウオッシュレットはありません。ところが、帰りにニューデリー空港のトイレを見たら手動式シャワーがありました。

もうひとつの発見はインドのワインが美味しいことです!





2018年3月6日火曜日

デリーへ


昼間にバンガロール空港へ移動するのは初めてだった。バンガロール空港での発着はこれまですべて深夜だったから。空港に近づくと道路の両側にはGarden Cityの名にふさわしく綺麗な花々と樹木が延々と植えられていた。空港は近代的で広く、市内の混乱ぶりからは想像できないほど整備されている。Air Indiaのチェックインは難なく終わり、1階の左奥のエレベータを上がって国内線の荷物検査を受ける。男女に分かれていてまず荷物をベルトコンベアにおいてから並ぶ、X線の検査は両手を広げて台の上に立って綿密に行われる。終わってから検査のおじさんに搭乗口を再確認されたのは国際線と間違えていないかと思ったのだと思う。

 

インドの国内線は初体験でニューデリーに飛んだ。Air Indiaはインドのメジャーなキャリアだが3時間半のフライトで運賃は5千円ほどである。デリーの気温は23/8°Cとバンガロールより涼しくなる。訪問先はデリーの郊外のFaridabadで、Regional Centre for Biotechnology (RCB)という研究所があり、その研究所でラボを立ち上げた研究者P.I.のmentorになったので訪問して1週間滞在する。まずは学生向けのセミナーを頼まれたので準備をしている。


今回の旅でニューデリー空港と香港空港がsilent airportだった。つまり搭乗の場内アナウンスがないのです。搭乗口に背を向けていると搭乗が始まったのがわからなかったことがある。silent airportは海外で多くなっているようだ。日本はバスでも電車でもアナウンスが過剰です。silent airportにいるといかに静寂がすばらしいものかを実感することができた。

空から見るインドの大地は意外にも緑が多かった。到着後、しばらくして第二陣で荷物が出てきた。ピックアップして外にネームタグを持ったタクシードライバーがいるはずが見つからない。しばらくして、出迎えの人に尋ねたらさらに出た外にも待っている人がいるという。慌てて行ってみるといて安心。宿舎までの高速道路でもやはりインドの雰囲気だった。到着した宿舎は意外と古い。管理人のおじさんは英語がそれほどでもないがとても親切でいい人だった。食事の時間に食堂に下りて行く時におじさんが急いで付いてきてくれて食事の案内をしてくれる。そして食事中も執事のようにいてくれたお代わりも持ってきてくれて食べ終わったら片付けてくれる。最初の頃は悪いので食べきっていましたが、最近はおかわりを断っている。ここは3度の食事がでるようだ。ベランダの窓は開けないように言われた。お猿さんが入ってくるそうだ。外も散歩するときは蛇がいるので注意するように言われた。蛇がいるのは、蛇と共に生きるというポスターが掲示されていたバンガロールも同じだった。インドでは、牛や犬や猿だけでなく、蛇やアリであっても共に生きるとのがポリシーである。 


宿舎の部屋のベランダの朝 一家の来訪


翌朝、ラボの二人が迎えに来てくれた。宿舎は研究所の敷地内にあるがラボがある建物までは10分ほどである。研究所の周囲には何もない。ここはジャングルの中に建てられた研究所だと言われた。だから、猿や蛇がいっぱいいるという。ジャングルといってもインドのジャングルのことだろう。

月曜日から木曜日はセミナー、研究の議論をして実験のデモもした。一人の研究者が日本に来て実験を行うことも決まった。南インドの新興都市であるバンガロールと北インドの歴史ある都市デリーは別の国といっていいほど異なるのではないかと感じた。私がそれぞれの土地で接しているのは研究所と宿舎という限られた範囲ですが、人も食物も自然環境もかなり違っているのではないかと。デリーはヒンディー語の土地なので割と皆がヒンディー語をしゃべります。だから英語が得意でない人がいます。バンガロールは違う言葉を使う人が集まっているので英語がメインになっている。RCBでは学生を含めて多くの人がとても親切で案内してくれたり、声をかけてくれたりする。ほとんどの人がベジタリアンで食事もNCBSと比べると質素である。NCBSはインド国外出身の研究者も目がついて国際的であるがRCBではまだ外国人を見なかった。

金曜日のお昼にSurajkund International Crafts Melaという国際工芸バザーにラボに皆で出かけた。木工品とか家具、衣類の店がたくさんありました。土日はすごい人になるそうです。こういうところで買い物する時は外国人は当然ふっかけられるので現地の人に値引き交渉をしてもらうのがいいです。今日も300ルピーが最後は200ルピーになりました。値札もレシートもありません。一人では絶対に来ることができない場所だった。食べ物だけでなく植物も風景も人間も多様で日本と違っていて楽しめる。インドで独特だなあと思うのは色使いだ。特に女性のサリーに使われている色は独特で、赤も日本の赤と違います。日本では絶対に使わない色調とその組み合わせがあります。食堂のテーブルの鮮やかなブルーもそうですがお札にも青色が使われている。






土曜日はデリーに買い物に連れていってもらった。どこに行きたいかと問われてガンディー博物館と答えていた。ガンディーについての本を若い頃に読んでその思想に共鳴していた。古くて内装がしっかりした建物にはガンディーの生涯を辿った写真が解説とともに並べられてその歩みを再確認することができました。彼が使っていた品々と糸車も展示されています。非暴力と愛の思想は今の時代においてこそ聴かれるべきとの思いを強くした。


帰国する日曜日は夕方まで宿舎でゆっくりしていた。お昼過ぎにP.I.の一家が持ち帰るハエと一緒にプレゼントの本を持ってきてくれた。その前に二人のメンバーがお別れの挨拶のために部屋に来てくれた。昼食後には荷物を詰めてゆっくりしていた。6時に車をお願いしていたが5時半には来て空港に向かった。予想外に渋滞はなくて40分ほどで空港に到着した。3時間早い香港行きに変更を頼んだが追加料金がかかるかもと言われて予約通りの便にした。4時間ほどの時間を搭乗エリアで過ごした。デリー空港は巨大で、インドかぶれした服装の西洋人がたまに歩いていておもしろかった。深夜の2時にデリーを発ち朝の香港に着いて乗り継ぎも問題なく、午後の3時に雪の福岡に帰国。RCBにはこれから毎年行くことになる。

2018年2月28日水曜日

バンガロールでの新しい発見


6度目のバンガロール滞在はこれまでと違うことがある。まず、定年退官して公務出張ではないので、余裕ができてこれまでは気にとめなかったことにも気がついて調べたりしていることである。2つ目はこれまでは研究所の敷地内のゲストハウスに滞在していたが、今回は少し離れたゲストハウスである。朝は3種類ほどの鳥の不思議な鳴き声で目がさめる。

宿舎があるマンダラと研究所の間はシャトルバスで移動している。20分ほどの移動時間にインドのカオスが体験できる。バスはとても古くて10年は確実に経過していて、座席のクッションはなくドアの開閉は乗り降りする人が手動で行う。ところどころ舗装していない所を通る時の振動は日本では体験できない。それにかなりのスピードで飛ばす。車同士、バイク、人とすれ違う時はほとんどスペースがない。


通りには人が溢れていて、小さな店が並び、野菜や果物、花を売る屋台も並んでいる。工事が行われている場所も多い。手提げ鞄を頭の上に乗せてすいすいと歩く女性もいる。立派なスクールバスに加えて、トラクターの荷台あるいはトラックの荷台に子供たちが詰め込まれて走っているのを見かる。子供達のスクールバスなのでしょう。公園では健康のために歩いている人がいる。

数日たって、バスの他にバギーが利用出来ることがわかった。研究所とゲストハウスの間には農業大学の広大な農園があり、外部からは入れないように管理されている。宿舎の敷地からいったん外にでて、狭いゲートから農園の敷地に入ったところに電動のバギーがやってくる。15分ほどで研究所に到着する。この移動手段がわかってからは朝にはバギーを利用するようになった。

ゲストハウスの敷地から狭い守衛門を一歩出ると、道の真ん中でノライヌさんがこのように寝ていてじゃまである。野良犬が道路の上で昼間に寝ているという行動は、他の国では見たことがない。起きているときは前から駆け寄ってきたり、後ろからしばらく付けてきたりするけど無視しています!奥に見える人は朝に大声を出して通りを歩いて野菜を売っている!早朝、ゲストハウスの部屋にいて奇声が聞こえて何だと思っていたのですが、物売りだと判明しました。お花を売っている人もいます。



住宅地を歩いて狭いゲートをくぐり農場の敷地に入って振り返る

道を歩いていて家の玄関の前にチョークで綺麗な模様が描かれていることに気がついた。パターンが家によって毎日すべて異なっている。このチョークアート 調べたところ「コーラム」 というヒンドゥー教の風習で、家庭の幸せ、「魔除け」を祈って描かれるヒンドゥー教家の女性の日課なんだそうです。代々描かれてきた模様が母から娘へと受け継がれていくそうです。