2013年5月18日土曜日

過去を心に刻むこと

4月27日、ベルリンで時間があったので「ホロコースト記念碑」(正式名:虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑)とその地下にある記念館に行ってきました。以前から行ってみたいと思っていたところです。記念碑は構想から17年を要し2005年に完成したものです。除幕式の式典で連邦議会議長が「記念碑は犠牲者の追悼に終止符を打つものではなく、現在そして将来も追悼の義務があることを示すものであり、現在および後世が過去の事実に向き合うことを可能にする場である」と述べたという



記念碑は、ブランデンブルグ門から歩いて5分ほどのベルリンの中心部にある。大きさが異なるコンクリートの柱が、規則正しく樹立していて、柱の間の狭い通路を歩くことで人々は何かを感じる。まさに異様な空間で、閉じ込められる、挟まれるという静かな恐怖を私は感じました。地下の情報センターには、ヨーロッパ各地から数多くの場所につくられた強制収容所に送られた家族らの資料があった。ここはユダヤ人に限定されているが、シンティ、ロマの人々も同じ目にあったのである。ドイツ大統領が述べた言葉が公園の記念碑に大きく掲示されていた。



ドイツの街を歩いていると金色の真鍮プレートが埋め込まれているのを目にすることがある。それは、ここにあった家の住んでいたユダヤ人の誰がいつどこの収容所に連れて行かれて殺されたかを記銘したプレートである。これは「つまずきの石(Stolperstein)」 というもので、 ドイツ人芸術家Gunter Demningが1995年に始めたプロジェクトで今では4万個のプレートが、ドイツだけでなく、オーストリア、ハンガリー、オランダ、ベルギー、チェコにも埋められているという。このようにドイツでは過去を心に刻むことが目に見える形で行われている。



帰国してからこの記銘を読んでいたら3名は家族であることに気がついた。父親は1938年に逮捕されてブーヘンヴァルト強制収容所からザクセンハウゼン強制収容所に移され、1942年にそこで亡くなっている。1938年は水晶の夜事件の年であるが、その年に多くのユダヤ人が逮捕されてブーヘンヴァルト強制収容所に送られたという。母と息子は4年後の1942年にワルシャワのゲットーに隔離収容され、Treblinka収容所で亡くなった。収容所で殺されたとき、父は53歳、母は49歳、息子は20歳であったことがわかる。この家族はここに住んでいたのである。 


 
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」
Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschliesst, wird blind fur die Gegenwart.

             ヴァイツゼッカー独大統領「「荒野の40年」1985

1 件のコメント:

sumireona さんのコメント...

ぼくもとても行きたい場所です。
ヴァイツゼッカー大統領の言葉、まさにそうだなと思います。