2011年5月15日日曜日

音楽遍歴

休みの日はラボの部屋で音楽を流しています。バッハが多いのですが昨日はショパンでした。ショパンが好きになったのはポーランドに行ってからでしょうか。それ以前はただ甘美なだけだと思っていたのです。 

曲自体の美しさだけでも聴いてもよいのですが、作曲者がどんな場所でどのような時代背景にあってその曲を作ったかを垣間見ることにより、より深くその曲を味わうことができると思うのです。ショパンの場合は、亡命国パリでの祖国に対する思いがその曲に込められていることを知ってからより好きになりました。

ぼくは、ある曲が気に入ったらほんとにしつこく聞き続ける癖があります。でもフォーレのレクイエムは、最初は良さがわからなかったのですが、何回も聴いているとだんだんすばらしさがわかってきました。夢はこの曲が初演された場所で聴くことです。でもミシェル・コルボ指揮の録音が最高です。

ミシェル・コルボはスイスのフライブルグ生まれ、そして演奏はベルン交響楽団。フライブルグとベルンには行ったことがあります。加えてこの演奏ですばらしいのが合唱団と歌手。この組み合わせで生まれた名演奏です。

ぼくがバッハを知る前に高校生の時から心酔していた作曲家がいます。マーラーです。でももうしばらく聴いていません。近年、国内でもマーラーが演奏されるようになりましたが、マーラーについては指揮者と交響楽団の名前を指定したくなります。4番はジョージ・セル指揮クリーブランド交響楽団とかです。 

通勤の帰路、ある美しいピアノ曲を繰り返し聴きながら帰ってきて別のことを考えました。作曲者から放たれた楽譜は別のところで演奏者が演奏する。それを聴くものは音楽そのものが聴こえてくるときに感じる世界がある。そこには作曲者の生き方も時代背景もないといえます。

作曲家についての日本でのイメージが現実の人物像とかけ離れてしまっている例があります。ドビュッシーがその代表例でしょう。それはたぶん学校で音楽の時間に鑑賞する曲によるのかもしれません。モネなどの印象派と呼ばれる絵画は日本人の好みですがドビュッシーは印象派と結びつけられています。それはそれで否定すべきこととは思いません。