2017年11月13日月曜日

本を読む

 定年後に気がついたひとつのことは、あたり前のことではあるが、本を自由に読めることである。教員時代にも読んではいたが、他にやるべきことが頭にあると、どっぶりと本に浸ることはできなかった。そして読みたい本も先送りしていた。例外は海外出張の時だった。出張の度に本を買っておいて新しい本と出会うことが楽しみだった。そして定年後、学生時代にそうであったような本の読み方ができることを思い出した。「ずっと読んでいていいんだ」という感覚はしばらくなかった。

 まず読んだのは蜷川 謙著『パリに死す 評伝・椎名其二』。特異な人生をパリで過ごした椎名其二の伝記である。椎名のこと知ったのは、森有正と画家の野見山耕治の本を読んでからである。野見山耕治が書いた『四百字のデッサン』には、椎名其二と森有正のことが書かれている。パリの椎名の家には当時パリに留学していた多くの人が出入りしていた。本の装丁作業所・住まいがあったマピヨン通の場所を見に行ったことがある。そこは今ではレストランになっている。今回、椎名の伝記を読んで、彼がソローやロマン・ローランの思想に惹かれていたことを知った。さらに、椎名其二は大杉栄とファーブルの昆虫記の翻訳をしていることもわかった。彼はアナーキストだった。

 家の本を整理していたときに、学生時代に読んだ加藤周一の自伝「羊の歌」を見つけて数日で読み終わった。書かれていたいくつかのエピソードを覚えていて懐かしく思った。そこに、森有正が寮で過ごしていた話や、駒場で片山敏彦の講義を聴講した話がでてきて、椎名と話が繋がった。片山敏彦はロマン・ローランと親交があった。本棚の奥から片山敏彦の著作集が出てきて驚いた。

 神谷美恵子の伝記も読んだ。学生時代に読んだ「生きがいについて」に始まってほとんどの著作を読んできたが、神谷美恵子の優れた知性と謙虚さと献身の心には圧倒される想いしかない。

 『トリエステの坂道』(みすず書房1995)が出て六本松の生協で購入した時は、須賀敦子の名前も知らなかった。本の表紙のカラヴァッジョ絵に惹かれて購入した。私は昔からみすず書房のファンでこの出版社の書籍というだけで信頼している。研究室の部屋に戻って読み始めたらとまらなかった。一気に読んでしまった。その後、須賀敦子が書いたものはすべて読んだが、もう一度読み返したいと思っている。

 これらの人々は上流階級の家系に連なっていおり、父、あるいは祖父が洋行していたとか、家に膨大な書籍があるとか恵まれた知的で刺激的な環境があった。読んだ本をつなげてみると、西洋の哲学と文学と格闘し、普遍的な人間の価値を追い求めた人々の軌跡が見えてくる。そこに現代に生きる私たちが受け継ぐことができる遺産があるようと思う。この人々は、日本と西洋という間にあって人間とは何かを問い続けたのだと思う。

椎名 其二 1887-1962
森 有正  1911 – 1976
神谷 美恵子1914 - 1979
加藤 周一 1919 – 2008
須賀 敦子 1929- 1998

 このような読書遍歴をみると、私は文系の人だと思う。しかし今、振り返って、生物学の研究者として生きたことはよかったと思う。もし、私が文系に進んでいたらどんな人生を送っていたかはまったく想像できない。

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