朝起きたら窓辺にChablisが来ていた |
MPさんの実家はパリの高速郊外鉄道RER A線の終点近くで、広い土地に古い一軒家が立ち並ぶ住宅地にある。セーヌ川の上流で、昔ルノアール、セザンヌなどが描いた景色がそのままある。実家から歩いて10分もすればそんな風景の川沿いの道に出る。そこをジョキングしたり散歩しているのは近所に住んでいる人である。
金曜日の夜遅くに着いて、ナタリーが準備してくれていた魚の料理の夕食を頂く。翌土曜日の朝はマルシェで買い物をして、セーヌ川沿いのレストランで優雅な昼食をいただいた。贅沢な時間だった。午後遅く私たち二人は、A線の終点のサンジェルマン・アン・レー Saint-Germain‐en-Layeに出かけた。音楽旅行の最後としてドビッシーの生家に行くためである。お城の向こうからパリ市内を眺めてから、街通りを散策した。
夕食はナタリーが準備してくれていて、JBも帰ってきて一緒に頂いて夜遅くまでいろんな話ができた。JBの仕事のこととか、日本での生活とかいろいろと話が聞けた。日本で食べたもので一番美味しかったのを尋ねたら、ナタリーは牡蠣小屋の牡蠣、JBは長崎で食べたおしるこだった。JBはMPの教育で和食が好きになったと言っていた。
ぼくたちフランス語の本読めます |
日曜日の朝はゆっくり支度をして、ナタリーが作ってくれたキッシュでランチ。空港に向かった。チェックインで時間を要し、搭乗口に行くとしばらくしてアナウンスがあって機内に入った。長かった欧州音楽旅行の終わりだった。いろいろトラブルもあったけど、助け合って乗り越えることで良い思い出になって、楽しく充実した日々を過ごすことができ、欧州のいろんな歴史上の問題も考えることができた。
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