5月7日 チェコはこれまでずっと行きたいと思っていた国だ。音楽では、スメタナ、ドボルザーク、文学ではカフカの地であり、ヨーロッパの古い町並みが残っている街であるから。また、私が高校生の頃にあった政変「プラハの春」の思い出もある。チェコがソ連の共産党支配から脱して、非暴力で社会変革を行ったのである。
ドイツ鉄道のバスでプラハ中央駅に着き、換金してから駅の正面に出てトラム・地下鉄の3日券を購入した。チェコの通貨はコルナである。普通の乗車券だとスーツケースの持ち込みに追加料金が要るが3日券だと不要である。ホテルに行くためにトラムの乗り場を見つけて乗ったが、途中で路線番号が変わってしまい、急いで下車して2回乗り継いでホテルに到着。おかげでトラムの乗り方を少し学習した。
Hotel U Krizeは16世紀の建物を改装したホテルで4階の屋根裏部屋だった。このホテルは朝食込みで、温かい卵料理を3種類から注文できるのがユニークだった。また1階に2つのレストランがあって宿泊者は1割引きだった。その一つの店のチェコ料理がとても美味しくて2回も行った。
部屋は最上階で窓側の天井が斜めになっている。トラムの駅の近くでどこに出かけるにも便利だった。ホテルの前は公園で山がある。
プラハの町並みや雰囲気は3回行ったことがあるポーランドと似ていると感じた。両国は隣同士だし、同じ西スラブ語に属する言葉を使っている。ポーランド語とチェコ語は70%ほど似ているという。英語のアルファベットの上に多様なヒゲが頻繁についている。駅の名前などをチェコ語のアルファベットを音読して確認することが辛うじてできる状態だったが、どうしても読めない駅名もあった。街では英語がほとんど通じた。
プラハに来た人が必ず出かけるのはプラハ城とカレル橋である。プラハ城はこれまで訪れたどの城よりも巨大だった。そして1402年に完成したというカレル橋はいつも観光客であふれていた。プラハでの音楽イベントは、プラハ国立オペラ座でのドヴォルザーク作曲オペラ「ルサルカ」の観劇だった。オペラは人間になった水の精と王子様の話でとてもわかりやすいストーリーだった。日本での海外から来たオペラの公演は数万円の値段がするが、チェコでは5千円ほどだった。長い休憩を挟んで公演が終わったときは10時を過ぎていた。地下鉄とトラムを乗り継いてホテルに戻ったが夜の街も怖くなかった。
スメタナ、ドボルザークの博物館にも行くことができた。それぞれ少しわかりにくい場所にあって展示品は少なかったが、ゆっくりとした時間を過ごすことができた。どこに出かけるにも目的の場所を探し出すのに手間取った。ひとつには、iPadのGoogle mapに地図をダウンロードしているのだが、現在地の表示の正確性がないので目的の場所にたどり着けない。良い人に当たって的確に教えてもらって見つけたことが多かった。また、道が格子状でないのでたいへんだ。やっと店にい入ることができても、日本のようにはいかない。こちらの人はメニュウを前に時間をかけて考えていてなかなか決めないのだ。決めても担当者が来るまで待たなければならない。さらに食べ終わってから支払いまでも時間がかかるのである。
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プラハ最後の日、駅までトラムに乗って行き、チェコ鉄道のオーストリア行きの1等車に乗車した。直前にならないと出発ホームが案内されないのでしばらく待った。車内ではレストランのメニューが配られ、正面のスコットランドのスターリングから来た夫妻はパンケーキとコーヒーを注文していた。私たちは、ホテルで作ってきたサンドウィッチで昼ごはんにした。昔だと国境でパスポートチェックがあったが、今はどこでチェコからオーストリアに入ったのかもわからない。
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