2017年5月21日日曜日

マーラーとバッハと


アイゼナハ カールス広場のルター像

5月4日 マグデブルグでの演習参加を終えて、定年退官を記念した音楽旅行に出かけた。フランクフルトに移動して、成田から夕方に到着するMを出迎えて合流し、鉄道で夜遅くにアイゼナハのホテルに着いた。

アイゼナハに1泊したのは、ここがバッハの生誕地であり、ルターが聖書のドイツ語訳を行ったヴァルトブルク城があるから。今年は宗教改革500年で、そのことを覚えてドイツ各地で様々な行事が行われていた。ヴァルトブルク城、バッハ博物館などを観て、ライプツィヒに移動した。アパートメントホテルに着き、すぐにゲヴァントハウスホールに向かった。


ヴァルトブルク城

マーラーの交響曲に心酔していた青春時代があった。その頃の私が音楽を聴くのはラジオしかなかった。始まったばかりのNHKのFM放送はクラシックのレコードばかりを流していた。その中からマーラーの曲をモノラルでオープンリールのテープに録音して聴いていた。交響曲第4番をフリッツ・ライナー指揮のシカゴ交響楽団で聴いたのがマーラーの衝撃的な出会いだった(しかし、これはNHKの第2放送だった)。その不思議な音の響と流れが心に共鳴した。交響曲第5番は、ヴァーツラフ・ノイマンがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮した演奏を録音して聴いていた。 高校時代にマーラーの交響曲のほとんどを聴いた。

それから45年以上の年を経て、ライプツィヒの地でゲヴァントハウス管弦楽団のマーラー交響曲第5番を聴くことができた。ホール横の2階席からは演奏者達がすべて見渡せて、打楽器、管楽器のそれぞれの演奏者の様子が見て取れた。

青春時代、マーラーのつぎに出会ったのがバッハだった。翌土曜日は、バッハの墓がある聖トーマス教会での演奏会に行くことができた。聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団メンバーによるハインリヒ・シュッツの合唱曲、Ich bin ein rechter Weinstock、バッハのモテット、Singet dem Herrn ein neues Liedなどの演奏だった。この2日の音楽経験は完璧な組み合わせで、これまでの私の人生の歩みが慰められたような感動があり、後は何も加える必要がなかった。

2泊したライプツィヒからプラハまではドイツ鉄道の2階立バスで移動した。バスは3時間ほどプラハ中央駅に
ノンストップ到着した。

この後に行ったウィーン・コンツェルトハウス エントランスのマーラーの銘板

0 件のコメント: