帰国はパリのホテルを朝8時過ぎに出て11時発のフライトだった。機内ではほとんど寝ないで12時間後の朝6時に羽田着、すぐに乗り継いで福岡へは9時過ぎに到着。だから1日が継続している感じである。シャルル・ド・ゴール空港の出国口がこれまで見たことがないような長蛇の列で、ゲートにたどり着いた時には搭乗が始まったところ。不審物が見つかったので検査が強化されたようであるが、シャルル・ド・ゴール空港ではよくあることだ。いずれにしてもホテルを出てから家に着くまで待ち時間なしだった。
スーツケースの中身を取り出して一休みして家を出て、天神で定期券を購入してラボに来た。昼間の町が夢のようだった。あるいは、欧州の旅が夢だったのかもしれない。バターが溶けるほど福岡は暑い。欧州では暑さが懐かしかったのに。
見る人間が同じ人種だけなのは違和感がある。パリでは肌の色が異なる多くの人種がいることが日常の風景である。日本では、どこにも落書きが無くて電車が秒単位で正確に動いている。 ドイツの鉄道は正確だが、イタリアやフランスではありえないことだ。特にイタリアの新幹線の遅れはすごかった。
Max Planck Institute of Neurobiology
今回のマックス・プランク研究所のラボにはいつものメンバーに加えてサマーコースの学生がいた。彼女はバングラディッシュ出身のオックスフォードの学生で2ヶ月の間、朝早くからラボに来てテーマを与えられて実験をしていた。大学で公募しているこのプログラムに応募して認められると、旅費や滞在費が支給されるという。学部の3年くらいで世界の一流のラボに短期滞在するわけである。マックス・プランクには世界中の優秀な人が集まってくる。このラボは、ドイツ人は半分ほどで、あとはトルコ、キプロス、中国、日本、イスラエル出身の人である。
Verona スカリジェッロ橋 |
伝統あるCaffe Pedrocchiで昼食。しばらくして学会の受付を済ませる。開会講演はPadova大学の伝統が染みついたような講堂であった。1222年設立で、コペルニクスが学び、さらには、ダンテ、ガリレオ・ガリレイ、詩人ペトラルカなどが教鞭をとっていたという。開会講演の後に、会場をかえてwelcome partyがあった。ラジョーネ宮Palazzo Ragioneというこれも古い建物で、内部には木製の大きな馬がおかれていた。国内外の多くの知人と挨拶を交わすことができた。
私たちが発表したアミノ酸の仕事は、直前に発表した私たちの論文を見てやられたと思った人が複数いた。このような裏話はしばらく話をしていないと出てこない。世界中の研究者が思いつくことは同じで、問題はそれをいかに行うかが肝要である。もし同じことを行っていることがわかれば相談して同時に同じ雑誌に投稿ができる。先を起こされると下のランクの雑誌にしか投稿できない。したがって、人のつながりと情報入手が重要なのである。
英語において大切なのは議論をすることである。書くことと聴くことの他に一番大切なのは自ら話すことである。興味ある講演をした人は必ずあとでつかまえて話をする。話をするにはその研究の背景を知っていないと話にならない。これまで国際学会に参加した院生には、できるだけ相手をつかまえて話しかけるように言っているがほとんど実行できていない。
学会の間、昼食は隣の大学の食堂で食べたが、パスタとメインが選べてイタリアの食の豊かさを実感した。食後のカフェとデザートは別のテラス席でとった。ヨーロッパの学会はお昼休みがたっぷりとある。
Paris
学会が終わってからパリに戻った。パリはもう慣れている。12年間ほとんど毎年来ているヴェルサイユの研究所への訪問も今回が最後である。ラボがもうすぐ別の所に移転するからである。夕方までサイエンスの話を続けた。パリでの最後の夕食は、カルチェ・ラタンの近くのチュニジア料理店でのクスクスだった。
今回は、ドイツ、イタリア、フランスと計3週間も滞在して、それぞれの国の違いと良さを続けて比べながら感じ、味わうことができたという意味で、これまでにはなかった旅であった。研究面でもわたしたちの仲間と相手がどのような人であるかを知ることができた。今回の旅の経験を糧として、新たな気持ちで研究に臨みたいと思う。
Spritz Aperol |
0 件のコメント:
コメントを投稿