2011年4月6日水曜日

ソウル

福岡空港国際線ターミナルの搭乗口は若い女性の集団で溢れている。福岡からアシアナ航空で1時間。仁川空港に着くとリムジンタクシーの運転手が待ってくれていた。泊まったホテルはソウル中心部でフロントでは日本語も通じた。前夜も韓国の方との会食が韓国料理レストランであった。その後に韓流ミュージカル「Miso美笑」の観劇。


今回の訪問は国際シンポジウムでの講演のため。といっても国外からの講演者は日本2名、独米から各1名。韓国食品研究院のリーダーの方は東大の大学院を出ているので日本語でいつも親切に説明してくれた。いろいろな場面で日本語が通じるのは便利ではあるが、私は日本語で話すことに少し抵抗感があった。



シンポジウムを終えて大学の近くの焼き肉屋さんへ。頻繁に網を取り替えてくれ、肉をハサミで切ってくれる。終わりに挨拶を頼まれ「日本の科学は下降しているが韓国の科学は上昇しています」と正直に述べた。実際、欧米のショウジョウバエの著名な4つのラボでポストドクをしていた若手が国に戻ってきて、ソウルのそれぞれ別の場所でラボを立ち上げている勢いに日本は負けると思う。この宴会の場でも、研究を始めてからまだ1年の学生がやってきて私たちが発表した論文の中身について質問してきた。韓国では教師と学生の間にはまだ敷居があるというから、学生が直接私に話しかけてくるのは勇気がいったと思う。

翌日、研究室を訪問した後に空き時間があったので西大門まで送ってもらった。 日本は1910年から1945年まで韓国を植民地支配していた。その時に多くの政治犯が収容されていた(実際は収容されていただけではない)西大門刑務所が歴史館となっている。日本人はこの歴史を知っておく必要があると思う。ポーランドでアウシュビッツ収容所跡を訪問した時のことを思い出した。刑務所で受刑者たちは他の都市で建設する刑務所の 煉瓦を焼いていたという。見学を終えて外に出ようとして下を見るとその煉瓦が敷き詰められていた。多くの友人ができた韓国にまた来たいと思った。

この収容所で焼かれた煉瓦には「京」の印があるとの解説があった

ソウルの地下街は庶民的