2012年8月4日土曜日

杜の都に舞い降りて......

仙台空港への着陸は海側から降りてゆく。津波が空港の滑走路を越えていったあの映像を思い浮かべながら久しぶりの仙台に着陸した。ぼくが10年の青春時 代を過ごした場所だ。ここでぼくの進む道と生き方が決まったといってよいだろう。だがそれが「美しい季節だったとは誰にも言わせない」(ポール・ニザ ン)。ターミナルビルも仙台駅までのJRも完全に元通りになっていた。ただ、福岡-仙台のANA便は初めて聞くIBEXエアランズの運行で、空港で飛行機 まで長く歩かされて機内も狭くてさびしく思った。

仙台は「杜の都」とよばれている。最終日のポスター会場が近くだったので昼食を食べに東北大の川内キャンパスに行ってみた。キャンパスは青葉山のふもとに あるが、周囲にこれぼど緑が多かったのかと認識を新たにした。緑の記憶は残っていなかったのだ。懐かしい食堂の建物は昔のままであったが内装がきれいで、 横にはモダンな食堂もできていた。

仙台の牛タンがこれまでに有名になっているのは不思議だった。私が学生だったときも牛タンの店はあったが、たしか数軒だった。それが今ではあらゆる場所に ある。仙台牛はいるのであるがとても賄いきれないと思う。牛タンはアメリカから輸入されたものだ。福岡の名物の明太子の材料が北海道などから来ているのと かわりはないのだろう。

夜、店に入ろうとしたら3軒とも、もうすぐ終わりですといわれた。10時半に閉店だった。昔よく行っていた「無伴奏」は とうの昔になくなっている。しかし、Klebierという喫茶が同じような雰囲気であるということを知って行ってみたが、すでに3年前に閉店していた。一方で、スイングというジャズバーはアドリブとなって残っていた。いつものようにMal Waldronの"LEFT ALONE"をリクエストした。レコードをかける店は少なくなってゆくのだろうか。2時間ほどいたが客は私たち以外、来なかった。

 井上ひさしの小説「吉里吉里人」には、昔の仙台駅での有名な東北弁のアナウンスが紹介されている。

「しんだぇ、しんだぇ。どなたさまも落ちるかだが死んでからお乗りください。」

大阪弁や博多弁と異なり東北弁は自慢してしゃべる方言ではなかった。東京に出てきた東北人は訛りを隠すのに苦労していたのである。しかし、新幹線ができた頃からそのような雰囲気は弱まってきたように思う。

仙台市内では、震災、津波のことを感じさせるものは多くはなかった。しかし、市内を離れて北に行くと、復興がほとんど手つかずのままの風景がひろがってくるはずである。